今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(32)大津から京三条大橋 その2

 

 2019年4月27日

 

山科

 

 京都市に入ります。

 近江と山城の国境のあった逢坂の関から、途中、県境上の道を歩きつつ、山科の盆地に入りましたが、ここからは京都市となります。

 山科の盆地は先に越えた逢坂の山と、これから越える東山の丘陵地帯に囲まれていますが、ともに断層の隆起によってできた山々です。

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 右手には徳林庵の地蔵堂があります。説明板によると、保元元年(1157年)に後白河天皇の勅命により、京の都に入る街道六か所に厄除けとして地蔵尊を祀った内の一つです。山科地蔵と呼ばれ、東海道の守護佛となっています。また、琵琶法師、蝉丸のゆかりの寺としても知られています。

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 一角には、道標が立っていて、「伏見六ぢざう」という文字が読めます。

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 山科駅からの通りとの交差点を越えた先の右手ホテルの植栽に、明治天皇御遺跡碑が立っています。かつてこの地に奴茶屋という茶屋があり、明治天皇も休憩されました。

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 その先は静かな町並みに変わり、安祥寺川を渡った左手角には五条別れ道標が立っています。左に入る道は京五条に続く道でした。

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 再び山が近づいてきます。

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 やがて、三条通りに合流するので右折して、東海道本線の高架をくぐります。すぐの右手一帯の緑地は天智天皇陵であり、街道脇にその参道入口があります。

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 旧東海道の標識に沿って左の道に入ると、静かな住宅地となります。このあたりに東海道最後の一里塚があったようですが、場所は特定されていません。日ノ岡の一里塚で、日本橋から数えて124里目の一里塚です。

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 その先、徐々に高度を上げていきます。結構、急な上り坂です。

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 道はやがて平坦になりますが、どこが日ノ岡峠だったのかよく分かりませんでした。車と人がすれ違えないほどの細い道を歩きます。かつて、人馬道に加えて牛車専用の車道があったような道幅ではないですね。

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 三条通りと分かれて20分で、再び三条通りに合流します。

 すぐの左手には車石広場があり、車石の轍に乗せた荷車のモニュメントが2台あります。

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 三条通は九条山に向けて緩やかな上り坂になります。

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 その先から、京都の街に向けて、一気に下っていきます。

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 左手には、蹴上(けあげ)浄水所のレンガ造りの塀が続きます。道路標識にはついに三条大橋の文字が現れました。

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 地下鉄蹴上駅の道を隔てた反対側には、琵琶湖疏水インクライン跡のレンガ橋が見えます。その先は南禅寺に通じています。

 インクライン琵琶湖疏水の水運の中で、通る船を傾斜のあるところで運ぶ鉄道です。明治24年(1891年)から昭和23年(1948年)まで利用されていました。現在はその跡が整備され、桜の名所としても有名です。

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 蹴上交差点を道なりに左へカーブすると、三条大橋までは直線で一本道となります。

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 蹴上交差点から10分ほど歩くと、左手には粟田神社の鳥居が立っています。参道の脇には「粟田焼発祥の地」と記された石碑も立っています。

 かつてこの付近に、京の七口の一つである粟田口があったそうです。今も粟田口の地名が残っています。

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 その先、三条神宮交差点を通過します。右手には平安神宮の赤い大鳥居が見えます。

 さらに歩くと、左手歩道の脇に「坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡」碑と説明板が立っています。この地は青蓮院があった場所で、二人は、元治元年(1864年)8月に内祝言を挙げました。

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 しばらく歩くと白川橋を渡りますが、その袂に白川橋道標が立っています。通り側には「三条通り白川橋」と記されていて、東面には「是よりひだり ちおんゐんぎおんきよ水みち」と記されているようです。延宝6年(1678年)に建立されました。

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 そして、白川です。

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 その先、左手にはちょっとレトロな古川町商店街の路地が続いています。人通りはそこそこでしたが、シャッターを閉じたままの店も結構ありました。

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 街道に戻り、東山三条交差点を横断します。

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 そして、三条大橋交差点に到着しました。

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 中山道最終ゴールの到着です。時刻は12:05。今日は3時間30分の行程でした。

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 2012年12月8日に日本橋を出発して、6年と5ヶ月、延べ日数は32日を費やしました。横川までは割合早いテンポで進めることができましたが、美濃路に入ってからは、春と秋の年に2回、しかも、宿泊を伴うようになりました。後半は思うように先に進めませんでしたが最後まで歩くことができてとても良かったです。

旅の締めくくりに伏見の酒屋で祝杯をあげました。

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