2020年11月28日
矢坪
中央自動車道を越えて直進すると、甲州街道は右手の坂道を上ります。
入口には矢坪坂の古戦場の説明板が立っています。この地から新田までの山あいを抜ける坂道は矢坪坂と呼ばれていました。享禄3年(1530年)、甲斐国の郡内領主であった小山田氏が相模国の北条氏の侵攻を受けて戦を繰り広げた場所です。
キバナコスモスでしょうか、道端にきれいに咲いています。
山の斜面に沿って、徐々に高度を上げていきます。
ひとしきり上ると、眼下には山あいに点在する民家と、その先に中央自動車道の談合坂サービスエリアを望むことができます。
右手には武甕槌(たけみかづち)神社の鳥居が立っています。社はさらに斜面を上っていくようです。先ほどの説明板によると、矢坪坂の戦いの際に、軍神を祀ったものとも言われています。
その先で、山の中の土道に入ります。落ち葉がひらひらと舞う初冬の雰囲気ですが、気温は妙に暖かいです。
しばらくすると、下に県道を見下ろす高台の道に出ます。
やがて道は二手に分かれます。何も標識は立っていませんが、左の道は県道へ降りてしまいそうなので、迷わず右の草道を上りました。
途中、矢坪金毘羅神社参道の標柱がひっそりと立っています。神社はさらに上にあるようです。
さらに、木々の生い茂る山道を上って行きます。
再び、県道脇の高台に出ます。柵にはベニヤ板が張られていますが、下を覗くと、コンクリートの擁壁がほぼ垂直にそそり立っています。怖さ極まりない道です。
再び、木々の中に入ります。座頭転がしの標識立っています。この道を通っていた盲人が誤って街道脇から転落したという謂れがあります。現代の街道脇の谷には草木が生い茂り転落するということはありません。そういえば、中山道の碓氷峠越えでも「座頭転がし」がありました。
県道30号から分かれて矢坪坂を歩いて20分弱で、正面に民家が見えてきました。道は舗装道路に変わり、右に曲がって新田地区に入ります。
新田の町並みを歩きます。右手には、尾張家殿様指定宿跡のお宅があります。
家並みが途切れて、道は右へ緩やかに曲がりながら下っていくと、県道30号と合流します。合流地点には「これより 甲州街道 犬目宿」の標識が立っています。
そのまま県道を進みます。
緩やかな坂道を上って行きます。
犬目宿
下宿バス停の前を通過します。民家が多くなりました。
左手にある犬目宿直売所の前に、犬目宿の石碑と犬目宿の案内板があります。直売所は閉まっていました。
犬目バス停前には本陣跡があり、道を隔てた向かいには問屋跡があります。ここは犬目宿の西の端にあたり、宿場の中心地でした。その先、街道は枡形で右へ曲がります。
右に曲がると、斜め右に上がる階段の先に宝勝寺があり、山門が立っています。葛飾北斎や歌川広重の犬目峠の富士はこの寺の境内から描かれたと言われています。
また、階段脇には桃太郎伝説の幟が立てられています。ここ犬目宿、この先鳥沢宿、猿橋宿と続きます。
宝勝寺を後にして、県道が大きく左へカーブする先の右手から旧道に入ります。薄暗く、立木の枝も垂れ下がり、標識も何もないところなので、一瞬、ここなの? と思いましたが、とりあえず坂道を上ってみました。
人がほとんど通らないのか、枯れ枝がかなり散乱して歩き辛い坂道です。道を間違えていなければ、君恋坂と呼ばれています。
その先で、県道の擁壁の上に出たので、多分、変な山道に入り込んではいないなあと確信しました。
荒れた旧道を上ること5分弱で、整備された道に出ます。
今は廃業した君恋温泉でしょうか。その脇を歩きます。
その先で大きく左へ曲がりながら下り、再び県道30号と合流します。Uターンして県道に入ります。
再び県道を歩き始めます。
左へカーブした先にこんもりと恋塚の一里塚の盛り土が見えてきます。