2021年10月16日
甘酒茶屋跡
県道との合流点に甘酒茶屋跡の碑が立っています。背を向けて立っているということは勝沼から上ってきた旅人のために示しているようです。
ここで県道とは合流せず、県道の脇をさらに下っていきます。
すぐに林道に突き当たるので、左折して林道に入ります。甲州街道峠道の標識が立っていますが、これも背を向けて立っています。
林道を歩きます。この先は工事中のようです。
しかし、右脇へ下る沢の工事を行っていて、通行には問題ありません。
その先で、右へ入る標識に沿って下ります。
工事中の沢の脇を下ります。
さらに沢を下っていきます。
杉林に入り、小さな沢を渡ります。
その先の杉林の道は分かりづらく、崖下にこれから渡る木橋が見えたので、引き返して沢沿いに下りました。石垣の脇を通ると木橋に出ます。
木橋は思ったより高いところに架かっています。朽ちてはいないようです。
沢の両脇はごつごつした岩がむき出しになっていて、よく見ると柱状節理様の形状になっています。火山性の岩盤であると思います。そういえば沢の底は白く、花崗岩の浸食した岩や砂が堆積しているみたいです。
さらに林の中を下っていくと、「(右手)自害沢天名水、(左手)笹子峠道」の標識が、同じように背を向けて立っています。
やがて、谷側に柵が立つ道になります。
比較的大きな笹子沢荒廃砂防ダムの脇を通ります。ダム上へ立ち入られないように変わった柵が立っています。なかなか良い意匠です。
整備されたつづら折りの歩道を下っていきます。
木橋から12分で再び県道212号に出ます。ここで笹子峠道は終わりになります。新田下のバス停の先から峠道に入って、およそ2時間30分の峠越えでした。下草もなく、落ち葉が敷き詰められた、比較的歩きやすい上り下りでしたが、結構へろへろです。右手には、読みづらくなった笹子峠の説明板が立っています。
県道を左折してすぐの清水橋を渡ります。橋の上から、荒廃砂防ダムの滝の流れが緑の中に埋もれて見えます。
今度は県道を下っていきます。相変わらず車は通りません。
道路脇には桃の木茶屋跡の標柱が立っています。ここにも三軒の茶屋が立っていました。このあたりから右手に旧道が続いていたようですが、よく分かりません。
大きくヘアピンを描きながら下っていきます。甲府盆地の西側の山々でしょうか、開けた場所に出ます。峠道の山中は結構涼しかったのですが、ここまで下ってくると暑くなってきました。
県道を歩くこと35分、高台から家並みが見えてきました。駒飼宿ももう少しです。
駒飼宿
街道は左へカーブして笹子沢川に架かる天狗橋を渡ります。桃の木茶屋跡あたりから笹子沢川の右岸側を通って天狗橋脇につながる甲州街道の旧道がありますが、途中通行止めになっているようです。右に旧道を入ると駒飼の一里塚跡があります。日本橋から数えて28里目の一里塚です。
天狗橋を渡って左へカーブすると、すぐの右手に芭蕉句碑が立っています。
「秣負ふ 人を栞の 夏野哉」
秣(馬草)を背負った男の枝(栞)を折った後を歩けば大丈夫だ、といった意味のようです。この句は那須で詠まれたと言われていますが、笹子峠越えの情景と重なるところがあるのでしょうね。
日影上のバス停を過ぎると駒飼宿の町並みに入ります。
すぐの左手には脇本陣の標柱が立っています。更地になっています。
駒飼宿の町並みを進みます。
その先の左手には本陣跡碑が立っています。奥には明治天皇御小休所址碑も立っています。駒飼宿の説明板もあり、往時の屋号が書かれた町並みの地図が示されています。駒飼宿は笹子峠を控え、人馬の休憩宿泊で栄えました。
すぐに、甲州街道は日影バス停のあるところで左へ折れます。
時刻は13時過ぎになりました。事前に買っておいた昼食をとるために、この先を下ったところにあるスポーツ公園へ寄り道します。
およそ30分後にT字路に戻り、右折して甲州街道に入ります。かなり雲が取れてきました。
街道を下っていくとすぐの右手に甲州街道駒飼宿碑が立っています。
急な坂道を下っていきます。この付近は石積みした石垣をよく見かけます。
家並みを抜けると笹子沢川でしょうか、深い谷の上を渡ります。
やがて、車の通過音が大きくなってきます。その先で中央高速道の下をくぐります。