2014年11月24日
王子大坂
T字路を右折すると、ここから急坂を上ります。王子大坂と呼ばれています。飛鳥山に沿って本郷台縁の崖を下り、王子駅付近から再び、台地の上を目指して上ります。
王子大坂を上って5分、王子駅手前で明治通りから左へ分かれて、音無橋を越えた先の都道455号に出ます。
道はその先、十条台小学校のところで二股に分かれます。左へカーブするのは455号で、街道は赤羽駅方面の直進方向へ進みます。
その先は比較的細い道となります。都道455号から分かれて10分で、中十条二丁目歩道橋が見えてきます。
歩道橋の先の左手に、富士山神社があります。富士塚があり、ちゃんと、「祝 世界文化遺産登録」の幟が掲げられています。
富士塚から3分、右手に西音寺があります。徳川家光が日光社参時によく立ち寄ったと言われています。また、このお寺は本郷台地の縁に建ち、新編武蔵風土記稿では、東側の眺めが絶景であることが記されています。
入口脇に六面石塔が立っています。街道を行く旅人を見守ってくれています。
西音寺の先で環七を横切ると、再び本郷台から下る長い坂が始まります。清水坂と呼ばれています。途中には清水坂の碑が歩道脇に立っています。
清水坂を下り切ると、街道はJRの線路と並走します。
その先、埼京線のガードをくぐると赤羽西地区に入ります。あたりは道路の拡張工事が行われています。ローソンの先付近に、かつて、稲付の一里塚がありました。日本橋から数えて3里目の一里塚です。
赤羽駅手前、左手に、静勝寺へ入る道があります。正面に石段があり、台地の上にお寺があります。石段の袂に稲付城跡と刻まれた石碑が立っています。太田道灌が築城したと言われています。
その先、すぐに、JR赤羽駅に突き当たります。
街道は赤羽駅で分断されているため、駅の通路を通り東口に出ます。その先、横断歩道を渡って高架脇を北へ歩きます。
街道はすぐに高架から離れ、さらに直進します。駅近のビル街です。
駅から歩いて5分強でT字路に突き当たります。正面は宝幢院です。
宝幢院の門の脇には道標があります。板橋道が日光岩槻道と合流する場所で、「東 川口善光寺道 日光岩付道、西 西国富士道 板橋道、南 江戸道」と記されています。岩淵宿の入口にあたります。
岩淵宿
宝幢院の前を右折してしばらくすると赤羽交差点に着きます。左方面は環八、直進は北本通り(国道122号)となっています。直進して北本通りを進みます。
赤羽交差点から5分弱歩くと右手に小山酒造があります。東京23区内で唯一の造り酒屋です。地酒「丸眞正宗」を製造しています。
岩淵宿は荒川を挟んだ川口宿との合宿で、月の前半後半で宿場業務を担当していました。
その先は新荒川大橋交差点です。新河岸川と荒川を越えて埼玉県に入ります。
最初に新河岸川を渡ります。
新河岸川を渡った先、荒川の土手に立ちます。荒川の渡しは橋のやや上流にあったようです。荒川の渡しの説明板らしきものがありましたが、文字がかすれて解読不明でした。かつては、舟で渡っていましたが、将軍家の日光社参の時は、舟をつなげた橋を渡していました。
荒川を渡ります。
荒川を渡り切ると川口市に入ります。最初の交差点を左折して、南中学校脇の土手を下り、車道に降ります。
川口宿
土手下の車道を歩くと、かつて渡し場があった先の街道が右手に続いています。このT字路の角に小公園(鎌倉橋記念緑地)があり、鎌倉橋の碑と説明板が立っています。日光御成街道はそれまでの鎌倉街道中道を整備したものです。かつてこの地に小川が流れていて鎌倉橋と呼ばれる橋が架かっていました。
T字路を右折するとその先が川口宿です。街道は真直ぐ続き、旧家も見られます。
左手、松葉寿司の先を左折して寄り道をします。
路地を進むと、右手に旧本陣の門が残っています。
街道に戻り、その先、左手にある理容室の先を左折すると煉瓦造りの発電所跡があります。
寄り道をしながら5分強で川口宿の北の入口に着きます。右手には銅板で葺いた町家が2軒並んでいます。なかなか珍しいですね。
突き当りのロータリーには川口宿の説明板などが立っています。