2015年12月26日
箕田の追分
中山道箕田の追分から例幣使街道天明宿までを館林道と呼んでいます。忍宿から天明宿ではすでに歩いているので今回は、箕田の追分から忍宿まで歩くことにします。
8:25、電車で北鴻巣駅に到着し、西口に降り立ちます。天気は快晴、8:30から歩き始めます。
整備された駅前通りを直進すると、すぐにT字路に突き当たります。ここは、今日、左から右に歩く館林道です。交差点を左折して、本日のスタート地点の追分に向かいます。
すぐに箕田の追分に到着します。前回、中山道を歩いてここを訪れたのは2013年1月2日、3年ぶりとなります。
下の写真は江戸方面から撮ったもので、右の道が館林道、左の道が中山道です。
3年前は、説明板は分岐の角にありましたが、現在は江戸から見て右手に移り、周りが整備されていました。
館林道を歩き始めます。
北鴻巣駅入り口を再び通り過ぎ、追分から5分でJR高崎線の踏切を越えます。
その先、5分弱で左手に三木神社の大ケヤキが見えてきます。パワーを感じる大木です。迫力がありますね。
すぐに国道17号に出ます。鴻巣市三木交差点です。歩道橋に上がり、国道を横断します。
国道を過ぎると静かな住宅街の通りになります。
国道を横断して10分、川面橋で元荒川を渡ります。
その先で新幹線の高架をくぐります。高架をくぐる手前から、右手には忍川が流れています。忍川は、先ほどの川面橋の下流で元荒川と合流します。
忍川に沿って、田んぼの中を歩きます。
その先に堀切橋が見えてきます。館林道はこの橋を渡ります。
堀切橋を渡る手前、左手には石田堤公園があります。公園入口には新しい道標が立っていています。
石田堤は、天正18年(1590年)に石田三成が忍城水攻めのために築いた堤防で、全長28kmの堤をわずか1週間で完成させたと言われています。利根川と荒川の水を引き入れましたが、忍城や城下町よりは下忍や堤根(この近辺)に水が溜まり、遂には、堤防が決壊して水攻めは失敗に終わりました。しかし、その後に北条氏の降伏により、忍城も開城することになりました。
堀切橋を渡った左手に、堀切橋の土木遺産のプレートと説明板が立っています。昭和8年(1933年)に竣工したこの橋は、高欄の三角形などの空間や、至る所に描かれた幾何学模様などの「野外アート風」のデザインが高く評価され、平成26年(2014年)に土木学会推奨土木遺産に認定されました。堀切という名前は石田三成の水攻めの際、このあたりで破堤したと言われていることにちなんでいます。
橋を渡ると石田堤と、少しですがその上に松並木が続きます。江戸時代に脇往還沿いの松並木として植えられましたが、害虫などの被害で、江戸時代当時の木は一本も残っていないそうです。
所々に石田堤の碑や説明板が立っています。水攻めについては様々な説があるようです。
堤根地区を歩きます。
堀切橋から22分で道は左にカーブして、その先で国道17号バイパスに出ます。
歩行者はその手前にある地下通路を通り、バイパスをくぐります。
バイパスを横断すると、再び、忍川を渡ります。
その先は、忍川の左手沿いを歩きます。
バイパスを横断して7分、道の右手に工場(TACO)が見えてきます。