2022年4月2日
神奈川宿
桜の季節になりました。まん防も解除になり、街道歩きを再開することにします。おおよそ3か月ぶりに東神奈川の駅前に立ちます。天気は晴れですが、空気はまだまだ冷たいです。今日の最高気温は15℃くらいになるようです。9:10に歩き始めます。
駅前の歩道橋から京急線、第一京浜方面を望みます。京急線のすぐの左手が京急東神奈川駅です。
京急線のガードをくぐった先、セブンイレブンの角を右に入ります。
この道は「神奈川宿歴史の道」として整備されています。
すぐの右手は金蔵院です。立派な山門が建っています。金蔵院は平安末期に建立されました。江戸後期に神奈川宿の様子を示した金川砂子では、金蔵院の敷地は寺の街道側にある熊野神社とともに東海道に面していました。
金蔵院の左手には熊野神社があります。裏手の門から境内に入ります。熊野神社は平安末期に紀伊熊野権現を祀り、もとは幸ヶ谷の権現山にありました。江戸中期には金蔵院へ移り、神仏分離によって今の場所へ分けられました。
花桃の花でしょうか。
鳥居の脇には大きな狛犬が控えています。近くから見ると結構迫力があります。
先の歴史の道を進みます。若い松並木が続いています。
左手、神奈川地区センターの前には高札場が再現されています。元々は街道沿いの現神奈川警察署の西側あたりにありました。
神奈川地区センターの先右手には成仏寺があります。鎌倉時代の創建と言われています。幕末の開港当時にはヘボン式ローマ字で有名な宣教師ヘボンの宿舎に使われました。
その先、道は滝の川に遮られ、T字路に突き当たります。右折して京急線の線路をくぐり、浦島寺へ向かいます。
京急線の線路をくぐった右手には慶運寺があります。別名浦島寺と呼ばれています。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音様が伝えられ、浦島伝説ゆかりの寺と言われています。門前の「浦島観世音浦島寺」と記された石碑の下には亀がいます。
また、慶運寺は幕末開港当初はフランス領事館が置かれていました。
第一京浜方面へ向かって、来た道を戻ります。先ほど右折したT字路の少し先で右折して滝の川を渡ります。
滝の川に架かる土橋を渡ります。
土橋を渡った先、すぐを右折して進むと正面には浄瀧寺があります。この寺はイギリス領事館に使われました。
神奈川宿歴史の道にある名所旧跡の前には波をデザインしたタイルが敷かれています。
土橋まで戻り、橋の手前を右手へ曲がり、川沿いを進みます。土橋の親柱は意匠性が高く趣があります。よく見ると、東側に親柱は2本立っていますが、西側のこちらは片側のみしか立っていません。この橋は、昭和4年(1929年)に竣工しました。
第一京浜に架かる滝ノ橋近くまで川沿いを歩くと、滝ノ橋と本陣跡の説明板が立っています。金川砂子によると東海道の滝ノ橋を挟んで東側には神奈川本陣、西側には青木本陣がありました。また、橋の東の袂には高札場が描かれています。神奈川地区センター前に復元されたものです。
第一京浜に出て、信号を渡り、神奈川台場跡へ向かいます。
第一京浜から滝の川の東側の道を歩いて2本目の道を左折します。
正面が行き止まりになっています。
突き当りの右手には公園があります。あまり広くはありませんが、台場公園というプレートが立てられています。かなりきれいに管理されていて、様々な花が咲いています。
台場公園には神奈川台場の説明板が立っています。神奈川台場の歴史や黒船の絵図、当時の地図や明治30年(1897年)頃の空撮写真などが飾られています。
神奈川台場は安政6年(1859年)、勝海舟の設計で構築されました。海に突き出た扇型をしていました。明治32年(1899年)に廃止になり、その後は埋め立てられてしまいました。
その石垣が近くに残っているということで、行ってみました。
海側の出入り口から出て先を左折すると突き当りに石碑が立っています。
柵の向こう側の狭いスペースに、わずかながら石垣が続いています。
再び、滝の橋交差点に戻り、信号を渡って東海道を進みます。
200mくらい歩き、右手にある宮前商店街のゲートをくぐります。
宮前商店街と言いつつ、この通りにはお店がほとんど見られません。