今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(1)日本橋~品川宿~蒲田 その3

 

2021年12月18日

 

南品川

 

 街道松の広場の先には、三島市教育委員会から寄贈された三島宿の松が街道松として植えられています。

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 南品川宿を歩きます。

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 右手には天妙国寺があります。赤い山門が見えます。天正18年(1590年)、徳川家康が江戸へ入る際にこの寺に宿泊しました。

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 東海道南品川交差点を通過すると、左手には品川寺(ほんせんじ)のお地蔵様が鎮座しています。

 品川寺は大同年間(806~810年)に創建されたと言われています。このお地蔵様は江戸六地蔵に数えられています。また、寺内にある梵鐘は幕末のパリ万博(1867年)、ウイーン万博(1873年)に出展されたのち、行方不明になっていましたが、その後、スイス・ジュネーブの美術館にあることが分かり、昭和5年(1930年)に寺へ帰ることができました。

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 境内にある樹齢600年と言われているイチョウの木も有名です。品川区の天然記念物に指定されています。

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 東大井に入り、近くの鹿島運河まで行ってみました。

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 旧東海道の道路標識も立っています。

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 京急立会川駅へ入る道の手前のT字路を左へ入っていくと新浜川公園があります。この辺り一帯は土佐藩下屋敷があり、ペリー来航とともに土佐藩でも、海を埋め立てて砲台を築造しました。浜川砲台と呼ばれていました。園内にはホイッスル砲のレプリカが設置されています。坂本龍馬もこの砲台に詰めていたと言われています。

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 街道に戻り、立会川駅へ入る道を右折します。駅手前の北浜川児童遊園の脇に坂本龍馬像が立っています。竜馬もマスクをしています。二十歳の竜馬像とのことです。

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 立会川に架かる浜川橋を渡ります。この橋は別名涙橋と呼ばれ、この先の鈴ヶ森刑場で処刑される罪人の親族がその別れのために密かに涙を流したと言われています。

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 その先で品川宿京側の口になります。旧東海道と国道15号の合流地点には鈴ヶ森刑場跡があり、鈴ヶ森遺跡として保存されています。

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 再び、国道15号の歩道を歩きます。時刻はまだ14時前ですが、陽がだいぶ傾いてきています。

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 左手の建物の間からボートレース場のスタンドをチラッと見たりしながら、国道沿いを15分強歩き、角に交番のあるY字路を左へ入ります。

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 美原(ミハラ)通りに入ります。商店街の雰囲気は品川宿とよく似ています。やはり、ここも海苔の店とか釣り具の店とかを見ることができます。

 美原は品川宿川崎宿との間の宿の役割を果たしていました。

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 街道沿いには、往時の様子を描いた石が所々置かれています。ちなみに、これは何の絵なんでしょうかね。

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 環七を横断して、内川に架かる内川橋を渡ります。橋の袂には旧東海道美原通りの説明板が掛けられています。かつては三原通りと呼ばれていて、南原、中原、北原の三つの字から三原を形成していました。

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 橋を渡った角には「羽田道(するがや通り)」の石碑が立っています。内川橋はかつてするがや橋と呼ばれ、駿河屋と呼ばれる旅宿がありました。また、ここを起点として羽田道が伸びていました。

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 左手に入る道が羽田道でしょうか。

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 歌舞伎では、駿河屋は幡随院長兵衛が宿泊した宿として出てくるそうです。

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 やがてミハラ通りも終わり、大きな大森警察署前交差点に出ます。東海道は直進方向の国道15号に入ります。横断歩道で国道の右側の歩道に出ます。

 交差点の手前を左へ入ると一里塚跡の碑があったようですが、見逃してしまいました。大森の一里塚で、日本橋から数えて3里目の一里塚です。

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 ここからは、また、単調な国道15号の歩道を歩きます。

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 延々と国道の歩道を歩いて20分弱、本日の終点の京急蒲田駅が見える手前、道路脇に公園があります。梅屋敷公園です。

 江戸の終わりに、和中散と呼ばれる携行薬を商っていた山本久三郎が梅の銘木を集めて茶屋を始めました。梅屋敷とよばれ、梅の名所として広く知られるようになりました。歌川広重も「名所江戸百景」に浮世絵を残しています。また、明治天皇も何度か訪れたそうです。

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 国道の正面に、羽田空港線の高架も見えるようになり、京急蒲田駅ももうすぐです。

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 新呑川に架かる夫婦橋を渡ります。下流に架かる天神橋と合わせて夫婦橋と呼ばれていました。新呑川は江戸初期に整備された六郷用水の流れと合流したり、分水したりして多摩川北側の台地を潤い続けていました。

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 本日のゴールである京急蒲田駅前に到着します。

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 時刻は14:50です。本日は5時間45分の行程でした。駅周辺で休憩した後に、JR蒲田駅から帰路につきました。

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