2023年4月22日
久津部
久津部の一里塚跡のある袋井東小学校の校門には「東海道五十三次どまん中東小学校」という名前が架けられています。しゃれているというか東海道をこよなく愛している土地なのですね。
どまん中と言うのは、袋井宿が東海道五十三次の数えて真ん中にあることによるものです。日本橋から27番目、京からも27番目ということになります。
秋葉山常夜燈です。
右からのT字路の角には村松・宇刈道標が立っています。
さらに、その道の反対側の角には八幡社入口の道標が立っています。八幡神社はここから北へ行った国道1号と東名高速道路の間にあります。
道標のオンパレードです。これは法多山道標で、法多山尊永寺へ向かう道を示しています。
こちらは油山道標です。油山寺は北へ3kmのところにあります。
七ツ森神社です。桓武天皇の時代、都より怪鳥退治に派遣された七人の武士が返り討ちに合い、村人がこの地に葬ったという謂れがあります。
再び、松並木が現れます。
ここにも松並木の絵と説明が記されています。この辺りの松並木は信長公記や徳川実紀にも記されているようです。
これも油山寺道標ですね。「従是油山道」
やがて、東海道は交通量の多い県道413号と合流しますが、県道413号には入らずそのまま直進して、突き当りを左折します。
次の角を右折します。
通りを横断して先の道に入ります。渡ったところに旧東海道の地図があります。
道なりに住宅街の中を進みます。
右手には秋葉山常夜燈が立っています。
秋葉山常夜燈は燈籠型と木造屋形があるようですが、この木造屋形常夜燈には見事な彫刻が施されています。
その先で通りに出るので左折します。
すぐに袋井市役所南交差点に差し掛かるので、交差点を対角に横断します。
袋井宿
交差点を渡った歩道には、高札場風に「袋井宿と天橋」の説明板と江戸時代後期の袋井宿の地図が架けられています。
その隣には「これより袋井宿」碑が立っています。
天橋を渡ります。袋井宿の東の入り口にあたります。
橋を渡ると、街道ウォーカーがお世話になるどまん中茶屋があります。ここでおいしいお茶をごちそうになりながら、ボランティアのお母さんとお話をしつつ休憩をさせてもらいました。
茶屋脇の浮世絵は保永堂東海道五十三次で袋井宿の東の入り口に立つ出茶屋を描いたものです。茶屋の脇に立つ榎の木と傍示杭のある構図に、現代のどまん中茶屋は似せてあります。
ところで、東海道の本当のどまん中ってどこにあるんでしょうかね? 日光街道では「逢いの榎」があり、中山道では原野あたりに標柱(後世の)が立っていました。東海道では、あちこちで、街道の付け替えがあったので、だいたいでしか特定できないのかもしれません。いずれにしても、残り半分となりましたが、これからも楽しんで歩いていきたいものです。
20分ほど休憩させてもらい、東海道に戻るとすぐのところに秋葉山の常夜燈が立っています。天保8年(1837年)に建立されましたが、その後、地震で倒壊しました。平成28年(2016年)に復元されました。
右手には、袋井宿にあった3軒の本陣のうちの一つ、東本陣跡が小公園として整備されています。
東本陣跡のちょっと先の向かいには袋井宿場公園があります。
四脚門ではありませんが、門があります。
袋井宿場公園は静橋北交差点の角にあります。時刻は正午過ぎなので、交差点を左折して、昼食をとるため袋井駅へ向かいます。どこか食べるところはあるでしょう。
駅前で見つけた喫茶店で昼食をとり、およそ40分後に静橋北交差点に戻ってきました。左折して東海道に入ります。すぐの左手には問屋場(人馬会所)跡の標柱が立っています。
問屋場跡のはす向かいには中本陣がありました。文化年間(1806~1817年)には、中本陣の西側に問屋場がありました。
さらに3つ目の西本陣がありました。