2023年5月21日
二川宿
二川宿に入ると、いきなり宿場町の雰囲気の残る趣のある町並みが続きます。今も商家の家屋を維持している駒屋を出ると、その前は桝形になっています。
桝形の先、右手には「二川宿まちなか公園」があります。ここはかつて東の問屋場があった場所でした。現在は様々なイベントが開かれる広場になっています。
民家の前に脇本陣の説明板が掛かっています。
左手には二川宿本陣跡があります。東海道の本陣としては、草津とここ二川の2か所のみが現存しています。
本陣と隣の旅籠清明屋が公開されているので、駐車場から入ります。
駐車場の奥には高札場が復元されています。二川宿の高札場はこの先の二川宿と大岩町の境界にありました。
受付を通って敷地の脇から入ります。
街道表に向かって歩き、土間(通り庭)から靴を脱いで中に入ります。広い玄関棟の畳の間を抜けると書院棟になり、その一番奥には上段の間があります。この書院棟は文化4年(1807年)に造られましたが、明治に入り当家では醸造業を始めたために取り壊されてしまいました。近年、見取り図や各地の本陣を参考に復元しました。
二川本陣では年間60回ほど大名の利用がありましたが、宿泊するのはその1/4程度だったそうです。
上段の間から見る庭です。殿様も見ていました。
中庭もあります。
玄関棟の畳の間です。さすが、広いですね。
玄関脇には板の間があります。大名行列の駕籠や長持などの荷物置き場になっていました。
通り庭を通って表に回ると二川宿御本陣の石碑が立っています。
表門をくぐると、正面には玄関があります。
なにやら賑やかな釣り飾りです。
次は隣の旅籠清明屋に表から入ります。街道に面しているのはミセの間で、荷物置き場や帳場がありました。ちょうど旅人が草鞋を脱いで、足を洗っているところです。典型的な旅籠の造りで、街道に面したミセの間の上だけに2階がありました。
ミセニワから土間を通ると建物脇の外に出ることができます。建屋の南側には土蔵が建っています。
建物を回り込むと奥座敷に面する庭に出ます。庭から屋内を見ると、繋ぎの間、奥座敷、主屋、ミセの間が並んでいます。
奥座敷に面した庭です。隣の本陣にお殿様が泊まった際に、家老などの上級武士が清明屋に宿泊することがありました。
本陣、清明屋を一通り巡って、最後に資料館を見学して、街道に戻ります。駐車場から本陣の甍の波?を愛でます。
東海道に出ると、道の反対側には西駒屋があります。西駒屋は先ほど訪れた駒屋から分家し、明治42年(1909年)に味噌・醤油の醸造元として創業しました。明治時代後期に造られた建屋は当時の商家の特徴をよく現すもので、国の登録有形文化財に指定されています。現在、住居となっているため見学はできません。
その先で、西の桝形が見えてきます。
桝形には高札場跡、秋葉山常夜燈、二川町道路元標が立っています。先ほどの本陣・資料館の駐車場に復元されていた高札場はここに立っていました。
大岩中町に入っても、趣のある町並みは続きます。
西問屋場跡の碑が立っています。問屋場は、先に通った二川宿(東問屋場)とここ加宿の大岩町に2か所ありました。
まだまだ、続きます。
信号のある交差点の角に消防団があり、その前に大岩町郷蔵跡の碑が立っています。穀物の備蓄庫ですね。
その先には立場茶屋がありました。この辺りは大岩茶屋町と言われていました。
やがて、道幅が広がり、現代の町並みに戻ります。その先で二川駅前交差点に着きます。今日の街道歩きはここまでとします。
交差点は駅前のロータリーにあります。時刻は12:40です。今日は4時間40分の行程でした。すぐに東海道本線の上り電車が来たので、それに乗って浜松まで移動して、そこから新幹線で帰路につきました。次の東海道歩きは涼しくなってからの予定です。