今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(16)掛川~掛川宿~袋井宿~見付宿~磐田 その5

 

2023年4月22日

 

三ケ野

 

 大日堂の建つ場所は標高40mほどの高台の東の縁にあり、これまで歩いてきた平野部を見渡すことができます。北の方面を望みます。

 本多平八郎忠勝が、木原畷の戦いで木原に布陣した武田軍をこの場所から物見したと伝えられ、かつては、本多平八郎物見の松と呼ばれた大木が立っていました。

 

 こちらは東の方面です。武田軍が見えたのでしょうか。

 

 大日堂です。創建は養老元年(717年)と言われています。

 

 下から上ってきた江戸の古道とのT字路まで戻り、そのまま東海道を直進して進むと、すぐに住宅地に出ます。風景ががらっと変わります。

 

 最初の交差点で右から合流する道は、先ほど別れた明治の道です。角には三箇野車井戸の跡碑と鎌田山薬師道の道標が立っています。鎌田山薬師(医王寺)はここから2kmほど離れた東海道本線御厨駅付近にあります。

 

 さらに東海道を直進します。この辺りには立場がありました。

 

 街道は住宅地の中を徐々に下りながら進んでいきます。

 

 鍋嶋公陣屋と大久保坂の説明板があります。

 街道の北側には旗本鍋島公の大久保陣屋があり、慶応時代には、街道の通行を取り締まっていました。

 また、見付宿へ向かうこの下り坂は大久保坂と呼ばれていました。弥次さん喜多さん東海道中膝栗毛にも坂の名前が出てきます。

 

 緩やかな下り坂から上り坂に変わった先で、傍示杭が復元されています。かつて、この辺りは見付宿と大久保の境にあたり、傍示杭が立っていました。

 「従是 西 見付宿」「是より 東 おおくぼ」

 

 行人坂と呼ばれる坂道を上ると県道413号と合流します。合流地点には行人坂の謂れの説明板が立っています。この地には山伏(行人)が住んでいて、村のまつりごとや社会奉仕をしていたことから付けられたと記されています。

 

 県道413号に入り、歩道橋を渡り、分岐の右の道に入ります。

 

 静かな住宅街を歩いて行きます。

 

 大正4年(1915年)の秋葉山常夜燈(秋葉燈籠)が立っています。

 

 やがて、急な下り坂に差し掛かります。見付宿の町並みが見えてきました。

 

 かなりの急坂を下っていきます。左手の小山(愛宕山)の上は愛宕神社が鎮座しています。

 

 

見付宿

 

 坂を下りきると木戸跡の標識があります。見付宿の江戸側の入り口です。

 

 木戸跡の脇から振り返り、急な階段を上って愛宕神社へ向かいます。

 

 質素な社殿です。見付宿を守る火防の神様です。

 

 社殿の裏には、一里塚(南塚)が現存しています。阿多古山の一里塚で、日本橋から数えて62里目の一里塚です。

 

 さて、対をなす北塚ですが、先ほど愛宕山脇の坂道を下る際に気付かずに通り過ぎたようです。しかしながら、南塚の脇から東海道を隔てて向こうを見ると、民家の合間にそれらしきものが見えました。北塚も現存していると言われています。

 

 愛宕神社から見付宿の町並みを一望することができます。

 

 見付宿に入ります。愛宕橋のモニュメントがあります。

 

 歩道のブロックには見付宿に関連する絵でしょうか、この先も4つずつ並べられています。

 

 この東海道筋は別名「栄光への道」と呼ばれています。東京2020オリンピックの卓球混合ダブルスで磐田市出身の水谷隼伊藤美誠が金メダルを取った功績を讃えて名付けられました。

 

 東坂梅塚です。梅の木が立っています。

 

 今之浦川には鯉のぼりが泳いでいます。

 

 

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