今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(6)岡部から新町 その1

 

2013年2月11日

 

岡部

 

 電車に乗って岡部駅に到着しました。

 天気は快晴ですが、冬型の気圧配置が強まり、風が強くなる予報です。このため、マフラーに手袋と完全防備で電車に乗り込みました。

 8:50に歩き始めます。

f:id:mame-lantern:20200804100641j:plain

 

 駅前の道を歩くこと10分強で、本日のスタート地点の島護産泰(しまもりさんたい)神社近くの交差点に着きます。

f:id:mame-lantern:20190925130448j:plain

 

 左折して中山道に入ります。

 さすがにまだ2月なので風は冷たいのですが、朝の陽ざしは少しだけ強くなったような気がします。

f:id:mame-lantern:20190925130817j:plain

 

 すぐのところを左手に入ると全昌寺があります。立派な門をくぐると左手には岡部陣屋の長屋門が移築されています。

 江戸時代、この地は安部氏が統治していました。その陣屋はここから少し深谷宿へ行ったあたりにありましたが、今はその遺構は全くなく石碑が立つのみです。幕末の砲術家高島秋帆が幽閉された場所として有名です。

f:id:mame-lantern:20190925132519j:plain

 

 しばらく歩くと、道は二手に分かれます。左の直進方向が中山道です。

 分岐の角には中山道古道の説明板と馬頭尊があります。

 右の道は明治に造られたもので、直接滝岡橋へつながっています。

f:id:mame-lantern:20190925213015j:plain

 

 その先、中山道は民家の角を右に入ります。中山道の標識があるので迷うことはありません。

 豊見坂と呼ばれている坂を下ります。 

f:id:mame-lantern:20190925225025j:plain

 

 坂を下った左手に百庚申があります。

 説明板によると、幕末の万延元年(1860年)、庚申の年にこの地の有志が建立したものです。この年は桜田門外の変があったり、黒船来航など騒然とした年であり、民衆の生活も不安なものがありました。このため、神仏に頼ろうと考えたそうです。 

f:id:mame-lantern:20190925230533j:plain

 

 そのまま道なりに進むと、国道17号深谷バイパスに突き当たります。

 かつての中山道はここから真っ直ぐ進み、滝岡橋の上流200mあたりにある渡しで小山川を渡りました。 

f:id:mame-lantern:20190925231908j:plain

 

 現代の中山道は右へ迂回して岡(西)交差点を横断し、その先にある滝岡橋を目指します。

 現在の滝岡橋は昭和3年(1928年)に造られたもので、花崗岩でできた親柱やカーブを描く煉瓦造りの橋台はとても瀟洒なものです。

 滝岡橋は国の登録有形文化財に指定されています。橋を渡った右手にそのプレートが設置されています。 

f:id:mame-lantern:20190925233209j:plain

 

 滝岡橋から小山川の上流を望みます。うっすらと榛名の山々が見えます。ここから200m先には小山川の渡しがありました。

 それにしても送電線の鉄塔が目立ちます。

f:id:mame-lantern:20190926000302j:plain

 

 橋を渡ると本庄市に入ります。

 堀田地区を抜けるとネギ畑が広がります。深谷ネギでしょうか。

f:id:mame-lantern:20190926000700j:plain

 

 ここからの道が少し複雑です。

 元小山川の土手沿いを通る車道が右へ大きくカーブするところで左に入ります。

 いつの間にか元小山川沿いに変わっていましたが、元小山川は滝岡橋の少し上流で小山川と合流しています。

f:id:mame-lantern:20190926100119j:plain

 

 さらに旧道と書かれた道に入ります。 

f:id:mame-lantern:20190926100332j:plain

 

 旧道の小路を進み、県道の下をくぐります。 

f:id:mame-lantern:20190926100737j:plain

 

 トンネルを出たら右脇の階段を上がります。路地を進んだ先で市道に突き当たり、ここを左折します。さらに県道258号に突き当たるので左折します。ここから中山道に戻ります。

 中山道に戻り、藤田小学校を過ぎた先、右手には宝珠寺があります。参道の並木は細木ながらきちんと枝が刈られていて、とても清楚な感じです。

f:id:mame-lantern:20200208122138j:plain

 

 ここは 印西地区です。かつて本庄宿の助郷村でした。立場なども置かれていました。

f:id:mame-lantern:20200208122632j:plain

 

 榜示堂地区に入ります。右手には内野家の立派な長屋門があります。

f:id:mame-lantern:20190926114155j:plain

 

 その先で中山道は直角に左へ曲がります。その右手、榜示堂集落センター駐車場の奥に榜示堂が立っています。

 榜示とは境界を意味する言葉で、かつての上州と武州の境界にあったという説があります。 

f:id:mame-lantern:20190926115214j:plain

 

 さらに、元小山川を渡ります。

元小山川の源流はかつては湧水から流れ出ていました。熊谷の元荒川に生息しているムサシトミヨも生息していたそうです。しかし、昭和の高度成長期に都市化の波が押し寄せ、湧水は枯渇してしまい、生活排水も流れ込み水質の悪化が進みました。近年は水質改善運動が盛んになり、かつての清流が蘇っています。

 空を見上げると、上越国境の雪雲が流れ込んでいます。風は相変わらず冷たいです。 

f:id:mame-lantern:20190926115610j:plain

 

 国道17号を横断すると緩やかな上り坂となります。御堂坂と呼ばれています。 

f:id:mame-lantern:20190926215506j:plain

 

 

本庄宿

 

 「中山道交差点」という名の交差点を通過します。

 一旦緩く左へカーブしたその先は、直線道となります。

f:id:mame-lantern:20190926220054j:plain

 

 本庄駅入口の角にある埼玉りそな銀行付近は、かつての田村本陣跡でした。本陣門はこの先の歴史民俗資料館前に移築されています。

f:id:mame-lantern:20190926220611j:plain

 

 だいぶ雲行きが怪しくなりました。雪雲の下に入ったのでしょうか。

 右手には、瀬戸物商の戸谷八があります。奥まで蔵が続いています。

 表の看板には「創業永禄三年」と記されています。永禄3年といえば1560年、桶狭間の戦いがあった年です。 

f:id:mame-lantern:20200804095905j:plain

 

 左手の東和銀行足利銀行があるあたりに内田本陣がありました。 

f:id:mame-lantern:20200804095410j:plain

 

 右手には仲町郵便局があります。外壁がタイル貼りで、昭和初期に建てられたものです。国の登録有形文化財となっています。 

f:id:mame-lantern:20190926224102j:plain

 

 中央三丁目交差点を右折して田村家本陣門まで寄り道をします。

 右折すると、倉庫として使われていたのでしょうか、年代を感じさせる大きな蔵が建っています。 

f:id:mame-lantern:20200208133058j:plain

 

 次の信号をさらに右折すると歴史民俗資料館の一角にある本陣門が見えてきます。

f:id:mame-lantern:20200804100307j:plain

 

 

中山道(6)岡部から新町 その2へ続きます。

 

中山道 歩いた行程表はこちら