今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(15)下諏訪から洗馬 その3

 

2014年5月24日

 

塩尻宿京口

 

 その先歩道橋のある交差点を右に入ります。角には鉤の手跡の碑があります。京側の桝形になっています。

f:id:mame-lantern:20191104212010j:plain

 

 しばらく歩くと右手には阿礼神社があります。延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている官社であり、長い歴史があります。

f:id:mame-lantern:20191104212940j:plain

 

 阿礼神社の隣には塩尻東小学校がありますが、その前に「是より東 塩尻宿」と刻まれた碑が立っています。塩尻宿の京側の入口でした。

f:id:mame-lantern:20191104213211j:plain

 

 堀ノ内地区に入ります。静かな町並みが続きます。

f:id:mame-lantern:20191105212722j:plain

 

 右手には堀内家住宅があります。堀内家は江戸時代の堀之内村の名主を務めた豪農です。本棟造りの家屋は国の重要文化財に指定されています。雀おどりの棟飾りが見えます。

f:id:mame-lantern:20200418114133j:plain

 

 鉤の手で国道153号から分かれて12分、再び国道と合流します。大小屋交差点です。

 手前左角には蠶玉(こだま)大神、秋葉大神、庚申、道祖神、・・・と記された石仏石塔が仲良く並んで立っています。蠶玉大神とは蚕の神様です。

f:id:mame-lantern:20191105221242j:plain

 

 国道を横断して飯田犬猫病院の看板のある左の狭い路地へ入ります。

f:id:mame-lantern:20200418114646j:plain

 

 細い路地は田川に突き当たります。正面には北アルプスの山々を望むことができます。

 右手の国道153号に出て塩尻橋を渡ります。

f:id:mame-lantern:20200418114930j:plain

 

 しばらく国道を歩くと道が三つに分かれます。下大門交差点です。国道は右の道となりますが、中山道は左の道に入ります。

f:id:mame-lantern:20191108192831j:plain

 

 右手には大門神社があります。昭和35年(1960年)に境内から銅鐸が出土しました。信州で銅鐸が発掘されることは非常に珍しいことだそうです。銅鐸と言えば畿内というイメージがありますが、この地ではどのような交流があったのでしょうか。

f:id:mame-lantern:20191108194258j:plain

 

 下大門交差点から10分弱で、JR中央本線の高架をくぐります。

f:id:mame-lantern:20191108194519j:plain

 

 直線の道が続きます。昭和電工の工場の裏手になりますが、コンクリートの塀が延々と続きます。車の通りは結構あります。しかし、歩道はありません。左手には田園風景が広がります。

f:id:mame-lantern:20200418120624j:plain

 

 下大門交差点から20分、昭和電工の敷地も過ぎた平出遺跡交差点の先に、一里塚が見えます。平出の一里塚です、日本橋から数えて59里目の一里塚です。道路脇に見えるのは南塚です。

f:id:mame-lantern:20191108203558j:plain

 

 北塚はというと、ありました。右手の民家の奥に見えます。説明板によると、塩尻市内にある一里塚で両塚とも残っているのはここだけになってしまいました。明治以降、不要になったため次々と消滅していったそうです。宝暦6年(1756年)頃にはここには茶屋が2軒立っていました。

f:id:mame-lantern:20200418115402j:plain

 

 右手に穂高連峰を見ながら畑の中の一直線の道を歩きます。

f:id:mame-lantern:20191108204625j:plain

 

 左手を少し入ったところに平出遺跡があります。縄文時代から平安時代にかけての集落の跡で、一部竪穴式住居が復元されています。後から調べると、登呂遺跡(静岡)、吉野ケ里遺跡(佐賀)と並ぶ日本三大遺跡のひとつと言われています。残念ながら先を急ぐあまり、寄らずに行ってしまいました。

 この辺りはブドウの産地で至るところにブドウ畑が広がっています。

f:id:mame-lantern:20191108210756j:plain

 

 JR中央本線の踏切を越えます。

f:id:mame-lantern:20191108211125j:plain

 

 その先で国道19号に突き当たります。その名も中山道一里塚交差点です。左折して国道に入ります。国道の標識に名古屋の文字が出てきました。遠くへ来たものです。

f:id:mame-lantern:20191108211442j:plain

 

 中山道一里塚交差点から国道を歩いて10分強、ガソリンスタンドの裏の道に入ります。

f:id:mame-lantern:20191205210700j:plain

 

 砂利の道を道なりに進むと国道と市道が交わる平出歴史公園交差点の袂に出ます。一旦市道に入って右折して、交差点で国道を横切ります。

f:id:mame-lantern:20191108212220j:plain

 

 国道を越えるとその先は民家の点在する静かな道となります。

f:id:mame-lantern:20191108212729j:plain

 

洗馬宿

 

 道は奈良井川河岸段丘崖に沿って下っていきます。坂の途中、右手に肱懸松があります。説明板によると、戦国時代の武将、細川幽斉が

「肱懸けてしばし憩える松蔭にたもと涼しく通う河風」

と読みました。爽やかさを感じる歌です。また、二代将軍徳川秀忠が上洛の際に肱を懸けて休息したとも言われています。どうやら下の写真の大きな木ではなさそうです。

f:id:mame-lantern:20200418121855j:plain

 

 ここから車道を離れて右の細い道を下っていきます。肱懸の坂、もしくは、相生坂と呼ばれていました。

f:id:mame-lantern:20191108215807j:plain

 

 民家の間を通っていくとすぐに県道に出ます。その角には常夜燈が立っています。分去れ常夜燈です。安政4年(1857年)に建立されました。中山道善光寺西街道の分去れになっています。善光寺西街道はここを起点として松本を経由し、善光寺まで通じる道です。このあたりが江戸側の桝形で洗馬宿の入口でした。下の写真は洗馬宿を背にして、左手の道が善光寺西街道になります。

f:id:mame-lantern:20191108220553j:plain

 

 分去れを左折するとすぐに先ほど肱懸松で分かれた県道と合流します。

f:id:mame-lantern:20191108220953j:plain

 

 合流する角には分去れ道標が立っています。「右 中山道 左 北国西往還 善光寺道」と刻まれています。この道標は、元々は先ほどの常夜燈のある付近に立っていましたが、肱懸松からの新道ができた際にこの場所に移されてしまいました。

f:id:mame-lantern:20191108221854j:plain

 

 その先を進みます。 右手に「あふたの清水」の入口の標識があるので、右折して寄り道をします。

f:id:mame-lantern:20191108225401j:plain

 

 標識に沿って段丘崖を下っていくとその中腹にあふた(邂逅)の清水があります。

 木曽義仲の挙兵の際、義仲と今井兼平主従が出会ったところで、兼平が疲れた義仲の馬の脚を洗って癒したという言い伝えがあります。洗馬宿の名前の由来となっています。

 木々の間からは奈良井川沿いに広がる田んぼが見えます。

f:id:mame-lantern:20191108230252j:plain

 

 県道に戻るとすぐが洗馬駅入口です。

 この地区は昭和7年(1932年)に大火があり残念ながら古い町並みは残っていません。

f:id:mame-lantern:20191108230838j:plain

 

 県道を左折して坂道を上ると洗馬駅に到着します。無人駅です。

 時刻は15:00です。4時間50分の行程でした。松本行の電車に乗って、塩尻からあずさに乗り換えて帰路につきました。

f:id:mame-lantern:20191108231142j:plain

 

 

kaido-aruki.hatenablog.jp

 

 

中山道(15)下諏訪から洗馬 その2へ戻ります。

 

中山道 歩いた行程表はこちら