2015年10月31日
徳音寺
徳音寺地区に入ると右手には有栖川宮御小休所碑があります。和宮の婚約者であった熾仁親王が休憩した場所です。明治天皇の碑はよく見かけますが、有栖川宮の碑は珍しいのではないでしょうか。
徳音寺南バス停付近のT字路を右折してコの字に進みます。
秋の里山を歩きます。
コの字に進むと先ほど右折した道の先に出ます。その先、さらに道なりに歩くと、葵橋で木曽川を渡ります。
木曽川です。
線路に突き当り、右折します。ススキの穂が風になびいています。
宮ノ越宿
宮ノ越地区に入ります。巴淵から歩くこと10分で、宮ノ越駅入口に着きます。駅は左手の坂を上ったところにあり、また、右手の木曽川を渡った先には史料館である義仲館があります。その先には徳音寺もあります。
宮ノ越宿の中心に入ってきました。駅入口交差点から5分くらいで左手には本陣跡があります。幕末に大火に合いましたがすぐに再建されました。明治天皇巡幸後にもう一度大火に合いましたが、明治天皇が休憩された部屋が焼失しないで残っています。木曽11宿の中で唯一現存している本陣です。
その先左手には脇本陣と問屋場跡があります。現在、遺構はなく標柱のみが立っています。
すぐの右手には、旧旅籠田中家があります。ここも明治16年(1883年)の大火で焼失しましたが、その時持ち出された建具などを用いて再建されました。飛び出した2階部分を支えている持ち送りの彫刻が見事と言われています。
田中家の向かいには明治天皇宮ノ越御膳水の石碑が立っています。明治天皇が本陣に休憩された際、この井戸の水で立てたお茶を献上しています。
やがて町並みが終わり、田園風景が広がります。
明治天皇の井戸から10分強でT字路があります。右手はコンクリート工場に繋がっているようです。車もあまり通らない静かな場所です。
T字路の左手には、宮ノ越の一里塚碑があります。日本橋から数えて68里目の一里塚です。
一里塚跡から10分弱で、道は右に大きくカーブして中央本線の踏切を越えます。
踏切の手前には鮮やかに色づいたモミジの木が一本立っています。赤というよりは黄色みがかったオレンジ色をしています。
その先で原野地区に入ります。原野は宮ノ越宿と福島宿の中間に位置し、間の宿でした。写真は原野の町並みを振り返って見ています。
原野駅入口を過ぎると右手には明星岩公園があります。明星岩は北側の山の斜面にある三角の大岩で、白いカジカが棲んでいて白く輝いたという謂れがあります。
すぐの左手には中山道中間点の石碑と説明板が立っています。これまで長かったというか、やっとたどり着いたという感じです。
説明板には、江戸と京から67里28町(266km)と記されています。そういえば、先ほど68里目の一里塚を過ぎたはずなのですが。。。まあ、細かいことは言わないことにしましょう。
とにかく、中山道も半分制覇しました!
中山道後半の歩きを始めます。
しばらく歩いて右の側道に入ります。きちんと中山道の標識があります。
青い空も見えるのですが、これまで南の空を覆っていた雲の色が段々と暗くなってきました。
道なりに進むと右側に地域の集会所である小沢センターがあります。その前から草道を下っていきます。中山道の標識には、「この下の橋を渡り木曽福島へ」と記されています。
草道を下っていきます。
すぐに川のほとりに出ます。木曽川の支流だと思いますが、結構流れが速く、大きな石が転がっています。先には小さな橋が見えるので、標識に従って渡ります。
その先、草道を上がっていきますが、途中で道を間違えてしまったようです。なんとか、舗装された坂道を見つけ上りました。坂を上るとバス通りに出ます。角のカーブミラーに中山道の標識があり、ほっとしました。バス通りを右に入ります。
時刻は14時過ぎですが、だいぶ陽が傾いてきました。
栗本地区に入ります。栗本の町並みも趣があります。
坂道を下って天神橋を渡ると、左手に木の生い茂った丘があり、街道脇に赤い鳥居が立っているのが見えてきます。手習神社です。中原兼遠が木曽義仲の学問のために北野天満宮から勧請した神社です。
その先、上田地区を歩いていくと道は二手に分かれます。右の道が中山道のようですが、分岐に「この先、道が無くなって危険です!迂回してください」と迂回路の地図が示されていたので左の道を進みます。
すぐに上田口交差点で国道19号に出るので、右折して国道を歩きます。