2014年2月1日
喜沢追分
日光街道は喜沢追分のすぐ先で、右の細い旧道に入っていきます。ちょうど道路工事を行っていましたが、歩行者はそのまま通行できました。
雑木林、畑、民家の点在する静かな道になります。
旧道に入って10分弱で、左手の雑木林の中に喜沢一里塚の西塚が見えます。日本橋から数えて、21里目の一里塚です。しかし、説明板もなく、なにも保護もされていないようで、気が付かないで通り過ぎてしまいそうです。
道の反対側には崩れかけた盛り土が民家の合間にあり、ひょっとしたら東塚の残骸かもしれません。
その先で、新幹線の側道に突き当たります。旧日光街道は新幹線とその東脇を走る在来線の間あたりを通っていたそうです。新幹線の側道をしばらく歩きます。
側道を7分ほど歩くと、県道33号の上を通ります。西側を並行して走っている国道4号がよく見渡せる場所です。その先、すぐのところで左斜めへ入ります。
新田宿
分岐からおよそ5分で国道4号と合流します。このあたりから新田宿が始まります。日光街道中、一番小さな宿場と言われていました。
国道歩きが始まります。次の信号の先あたりがかつての宿場の中心地でした。
左手には青木家本陣の門が残っています。往時の風格を残す四脚門様式のものです。
本陣の道を隔てた反対側には、脇本陣があったと言われていますが、特に遺構は何も残っていません。
国道と合流して12分、左手に銅市金属工業の工場が見えてきます。敷地の先のT字路を左折します。
国道から左折すると道なりに右へカーブしますが、カーブの手前、ドーイチと書かれた倉庫の前を右折します。この道が旧街道になっているようです。その先は、車が入れない遊歩道になっています。
遊歩道を歩くと右手に団地が見えてきます。遊歩道はその先も続いていますが、先人たちのブログを見ると途中で行き止まりになっています。ひょっとしたら、その先の道が整備されているかもと思いつつ、行き止まりで戻るのも嫌なので、団地の手前の交差点を右折して国道4号へ戻ります。
すぐに、先ほどの歩いていた国道に合流するので、左折します。しばらく歩くと下野市に入ります。
すぐのファミマが角にある交差点を左折して、先ほど途切れた旧街道へ向かいます。
次の十字路のレストランの角を右折すると、迂回した旧街道に出ます。
車通りも少なく、静かな住宅街を歩きます。二つ目の止まれの標識のある十字路は小金井駅からの通りとの交差点です。右手正面が駅になります。さらに直進します。
小金井駅入口交差点から数分で日光街道は畑に突き当たります。畑の向こうには一里塚の大木が見えていますが、先には進めません。ここを右折してすぐの国道4号を左折します。
国道に入ると左手に小金井の一里塚があります。一帯が公園になっています。
小金井の一里塚は国指定の史跡となっていて、東西両塚が現存しています。両塚の間が、日光街道の旧道となっていますが、残念ながらその前後は建物で閉ざされています。日本橋から数えて、22里目の一里塚です。下の写真の手前が西塚で向こうが東塚です。
小金井宿
一里塚の先で、旧日光街道と国道4号が重なるようですが、下野市小金井交差点あたりから小金井宿に入ります。
さらに国道4号を歩くと左手に慈眼寺があります。将軍家の日光社参時に休憩場所となっていました。
すぐ先、左手のガソリンスタンドの手前に、大越家本陣跡があり、四脚門が残っています。しかしながら、説明板等それを示すものは何もありません。
この本陣のあるあたりが、小金井宿の中心地でした。
道の反対側に2軒、土蔵造りの商家らしきお宅が並んでいます。いずれも、先の震災のせいか、道路に崩れないようにネットを張っていて、とても痛々しいです。
さらに、国道4号を歩きます。すぐに、小金井北交差点に差し掛かります。その先で、旧街道は国道から左へ反れますが、道が無くなっているのでその場所はよく分かりません。しばらく国道を歩いてから、旧街道に入ります。
交差点から10分ほど歩くと前方にパチンコ屋が見えてきます。
日光街道はパーラークイーンエリザベスの裏を通っているので、その敷地を横切らせてもらって、右折して旧街道に入ります。
旧街道はすぐに工事中のため行き止まりになります。市庁舎を建設しているようです。
通行止めのため、左手の新しく造られた道路へ迂回して、突き当りを右に曲がると、行き止まりの先の道に出ます。下の写真の左右方面が旧日光街道で、右手が行き止まりの道になります。
本日の街道歩きはここまでとし、交差点を直進して自治医大駅に向かいます。
すぐに、国道4号に突き当たるので、国道を小山方面へ少し戻ると駅前交差点があり、左折して50mほど歩くと正面が自治医大駅となります。
自治医大駅に着いたのが、14:05。4時間55分の行程でした。待ち時間なしで、上り電車が来ました。