2020年11月14日
横道
旧道の合流地点から、逆に入り旧道を行けるところまで歩いてみます。なぜなら、与瀬の一里塚跡が途中にあるからです。
しかし、舗装の道が途切れ、草道に変わり、さらに山道に変わって行きます。やがて、道筋が分からなくなり、先へ進めなくなりました。このため旧道を辿るのは断念して引き返してきました。
与瀬の一里塚跡は何処にあったのでしょうか。日本橋から数えて15里目の一里塚です。
旧道から相模湖を見渡せる場所があり、これが旧道歩きの御褒美でした。
再び分岐点に戻って、その先を歩きます。すぐに、正面には中央自動車道を渡る橋の前に出ますが、橋を渡らず右手へ道なりに進みます。
その先、マルロンテックス脇を通り、橋を渡って左へカーブします。
さらに、住宅街の中、坂道を上っていきます。
すぐの右手には「甲州道中 橋沢」と記された標柱が立っています。
その先にある二股を左へ入るのが甲州街道ですが、どうやら、ここで道を間違えて、直進してしまったようです。
地図通りの道を辿っていないような気がしつつ、中央自動車道を渡る橋まで下ってきました。ここで初めて道を間違えたことに気が付きました。
橋に立つと、右手に中央自動車道の東京方面から相模湖ICへの出口が見えるはずが、左手に名古屋方面から相模湖ICへの出口が見えるではありませんか。しょうがないので来た道を、それも上り坂を戻るしかありません。
しかし、間違えた分岐まで戻らず、ショートカットの道に入り、間違えた橋から15分強歩いて、正規の街道上の橋までたどり着きました。結構な時間のロスになったと思います。
気を取り直して吉野宿に向けて街道を下って行きます。
道は鬱蒼と茂る林の中を歩いていきます。その先右手に、倒れそうな「甲州道中 赤坂」の標柱が立っているところから右手の草道に入ります。
草ぼうぼうの道を下ると、すぐに、正面にフェンスが貼られている場所に出るので、左折します。その先も草ぼうぼうです。
道なりに進むと舗装道路に出ます。ここを右折します。
後から、気が付いたのですが、街道は左折して下るようです。赤坂からの下り坂は椚戸旧道と呼ばれています。事前に予習をしていかないといけないなあと痛感しました。
結局は、右折も左折もその先で合流します。
右折して舗装道路に出てから12分で、今度は国道20号と相模湖ICへ入る交差点の上を越えます。
橋の西側には、国道の向こうに相模湖を眺めることができます。
吉野宿
さらに下って行くと右手の道路脇に高札場跡の碑が立っています。ここから吉野宿に入ります。
すぐに国道に突き当たるので、右折して国道に入ります。
吉野宿の町並みです。明治29年(1896年)の大火で古い町並みは失われたそうです。
右手には本陣跡があります。「聖跡」と記された石碑と、壁の落ちかけた蔵があり、敷地内は工事中でした。
吉野家本陣には江戸末期に建てられた木造5層の建屋がありましたが、明治の大火で焼失してしまい、この蔵だけが残っています。
本陣の向かいには郷土資料館のふじやがあります。かつては藤屋として旅籠を営んでいましたが、明治の大火の翌年に再建されたのが現在の建屋だそうです。郷土資料館となったのは平成3年(1991年)からです。
側面の切妻の面には、かつてのものでしょうか、妻の木製の意匠部分が埋め込まれています。
沢井川に架かる吉野橋を渡ります。吉野橋から見る沢井川は、川というよりは相模湖の入江のようです。
かつて、吉野橋の南側に小猿橋と呼ばれる大月の猿橋と同じ造りの橋が架かっていました。吉野橋の手前左手に小猿橋の説明板があるそうですが、道の右側を歩いていたので気づきませんでした。
橋を渡るとすぐの右手の坂道を上ります。
高台の住宅街を進みます。
国道20号から分かれて5分強で再び国道と合流します。
左手には相模川を見下ろすことができます。
その先、下から上ってくる県道と日連(ひづれ)交差点で合流しますが、交差点に向けて車の列が繋がっています。交差点手前には歩道がなく、とても歩き辛い道です。
日連交差点手前の歩道がなくなる辺りに、「津久井の名木 エノキ」の説明板が立っています。後ろにある大木がエノキで、かつてはここに関野の一里塚がありました。日本橋から数えて16里目の一里塚です。
日連交差点の先の藤野総合事務所前交差点を通過します。右に入る道は陣馬街道で、陣馬山麓の和田峠を越えて八王子の追分交差点で甲州街道と再び合流しています。
さらに、すぐに藤野駅前交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとして、右折して、藤野駅へ向かいます。
すぐに藤野駅に到着しまします。時刻は14:40。6時間ちょうどの行程でした。藤野駅では陣馬山からの帰りでしょうか、多くのハイカーで賑わっていました。