今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(11)新蒲原~蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~清水 その1

 

2023年1月21日

 

蒲原宿

 

 8:00過ぎに新蒲原駅に到着しました。天気は晴れ間が見えますが、雲も目立ちます。これから薩埵峠を越えますが、富士山の姿が見えるか気になりますね。今日は小田原辺りまでは雲一つなく、はっきり見えていましたが、三島まで来るとかなり雲に覆われていました。さて、どうなることやら。

 8:10から歩き始めます。今日も寒波がやってきているようで、風が強くかなり寒いです。

 

 右手にあるガードをくぐり、東海道を目指します。

 

 線路脇を走る県道396号を蒲原歩道橋で渡ります。

 

 歩道橋から見た東の空です。微妙な雲行きですね。

 

 歩道橋から前回の帰りに通った路地を進み、東海道に出ます。

 

 西に向かって蒲原宿を歩き始めます。

 

 すぐの右手には、なまこ壁が目立つ旧家が建っています。この黒塗りの商家は「塗り家造り」と呼ばれています。塗り壁は防火効果もあるそうです。

 

 こちらも、「塗り家造り」の商家です。昭和まで続いた和菓子作りの店でした。

 

 街道は用水路を越えます。かつては、このあたりに問屋場がありました。

 

 左折して用水路沿いを県道方面へ歩くと、「蒲原夜之雪」記念碑のあるスペースがあります。

 

 昭和35年(1960年)、歌川広重東海道五十三次「蒲原夜之雪」が切手の意匠に採用されたのを記念して整備されました。広重がこの場所で描いたと言われています。

 

 街道へ戻ると右手には旧旅籠「和泉屋」があります。天保年間(1830~1844年)に建てられたものです。

 

 左手には平岡家本陣がありました。100mほど東側にも本陣があり、平岡家本陣は西本陣と呼ばれていました。

 

 明治42年(1909年)に造られた総欅の住宅です。2階の窓には当時の窓ガラスが残されています。波打った昔ながらの手作りガラスです。

 

 その先には高札場がありました。

 

 高札場の向かいには御殿道の説明板が立っています。かつてこの辺りに徳川家康が作らせた神原御殿がありました。その後、秀忠や家光が整備を加え広大な敷地を擁していましたが、寛永11年(1634年)の家光の上洛以降は、使われなくなりました。

 

 右手の洋館は旧五十嵐歯科医院です。大正3年(1914年)に町屋造りの建屋を洋風に改築したものです。国の登録文化財に指定されています。

 

 左手には醤油や味噌を醸造していた旧志田邸が建っています。安政の大地震の翌年(1855年頃)に建てられた町屋で、こちらも国の登録有形文化財に指定されています。

 

道なりに左へ曲がります。

 

 そのまま直進すると県道396号に出ます。

 

 合流点の左手には西木戸跡があります。蒲原宿はかつてはこの地より海側にありましたが、元禄12年(1699年)の津波で壊滅的な被害を受け、現在の地に移りました。

 

 県道を西へ向かいます。

 

 清水区役所蒲原支所付近には向田川が流れていますが、川に架かる橋の欄干では桜エビが跳ねています。

 

 蒲原中地区の街並みです。直線の街道が続きます。

 

 西木戸跡から20分ほど歩き、蒲原駅前を通過します。

 

 神沢地区に入ります。街道の向こうには東名高速道路の高架が見えてきます。

 

 東名高速道路の下をくぐります。

 

 

東海道(11)新蒲原~蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~清水 その2へ続きます。