今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(15)金谷~金谷宿~日坂宿~掛川宿~掛川 その5

 

2023年4月9日

 

葛川

 

 馬喰橋で逆川を渡ると左手には小公園があります。

 

 一角には一里塚碑が立っています。葛川の一里塚で、日本橋から数えて、58里目の一里塚です。

 

 道の反対側には、振袖餅で有名な200年以上続く菓子処もちやがあります。妻が是非買いたいと言うので立ち寄ります。振袖餅は振袖に似た細長い餅で、白い普通の餅ときな粉餅が3個づつ入った6個入りを買いました。帰宅してから食べましたが、甘さ控え目で、中身の詰まった餡子たっぷりの餡子餅で、癖になりそうな美味しさです。

 

 新町バス停の付近から左へ入ります。掛川宿の東の入り口、七曲りの始まりです。

 

 一つ目の角を右折します。

 

 突き当りの常夜燈の前を左折します。

 

 突き当りを右折します。

 

 さらに突き当りを右折します。

 

 その先には塩の道の碑が立っています。海沿いの相良から掛川を通って信州塩尻方面へ続く塩の道が通っています。塩の道は秋葉信仰の人たちの通る秋葉街道でもありました。

 

 

掛川宿

 

 すぐのところに七曲りの説明板があります。七曲りには掛川宿の東の入り口にあたる番所がありました。

 

 その先の角を左折します。

 

 次の十字路を右折します。

 

 その先の宿場の通りを左折します。

 

 右手の呉服の店は趣がありますね。

 

 歩道に屋根のある商店街に入ります。

 

 十字路の右手奥には掛川城の大手門が見えます。大手門通りです。

 

 本陣通り屋台案内図の脇に掛川宿本陣跡の説明が掲げられています。

 

 連雀西交差点に到着しました。今日の街道歩きはここまでとします。左折すると掛川駅に通じていますが、駅へ向かう前に右折して掛川城へ立ち寄ります。

 

 日坂宿から続いている逆川を渡り城内に入ります。逆川が堀になっているようです。

 

 天守閣が見えてきます。

 

 これは城郭の模型ですね。

 

 天守を見上げます。

 掛川城は明応6年(1497年)から文亀元年(1501年)の間に今川氏の遠江支配の拠点として築城されました。今の掛川城から500mほど離れた地にあり、掛川古城と呼ばれていました。しかし、後に掛川古城は手狭になり、永正9年(1512)から同10年(1513年)の間に、現在の場所に建てられました。

 永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦の後、武田氏に追われた今川氏真がここ掛川城に立て籠もりましたが、徳川家康と対峙して、和睦の末、氏真は城を去り、徳川家康が支配するようになりました。

 時代は移り、天正18年(1590年)、日本を平定した豊臣秀吉により徳川家康は関東へ移封となり、その後に掛川城に入ったのが山内一豊でした。一豊は城の整備を行い、初めて天守閣を築きました。

 

 階段を上っていきます。

 

 二の丸御殿です。

 

 さらに天守丸から間近に天守閣を見上げます。天守閣は平成5年(1993年)に木造で再建されました。コンクリート造りの城が多い中、どこか雰囲気が違い、なかなか味わいがありますね。

 

 天守閣からの西側の眺めです。

 

 こちらは掛川の町の方面です。

 

 富士山がうっすらと見えます。

 

 掛川城を一回り見て、連雀西交差点へ戻り、そのまま直進して掛川駅に着きました。時刻は13:35です。今日は5時間45分の行程でした。

 コメダで休憩して新幹線で帰路につきました。

 

 

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