今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(17)磐田~浜松宿~浜松 その2

 

2023年4月23日

 

天竜川橋

 

 新天竜川橋を渡ります。片側4車線の国道1号の脇に広々とした歩道が続きます。

 江戸時代の天竜川の渡しは船で渡っていました。渡場は新天竜川橋からさらに天竜川の上流へ500mから1km弱進むと、3か所の渡場がありました。上流から上之渡、中之渡、下之渡があり、水位によってどこを使うか決められていました。

 なぜか、見付宿の追分で分かれた姫街道は同じ渡場で天竜川を渡ることになり、しばらく、東海道を進むことになります。

 

 あばれ天竜と言われていますが、流れは穏やかです。

 

 日本橋から250kmのポストです。東海道歩きの先人のみなさんはここで写真を撮ります。

 

 およそ10分で新天竜川橋を渡り切りました。ここから浜松市東区に入ります。歩道はそのまま左へ入っていきます。

 

 脇に休憩場所のある歩道を通ると、隣の天竜川橋の袂の天竜川西交差点に出ることができます。休憩スペースにはここ中野町の東海道筋の案内地図があります。

 

 天竜川西交差点の信号で県道261号を横断し、歩道を少し西に向けて歩きます。

 

 大きな木のあるところで左へ続く階段を下ります。東海道の標識がちゃんとあります。

 

 階段を下り、土手下の道をしばらく歩くと、六所神社の手前から階段で土手道に上がることができます。土手道に上がってみます。

 

 天気が良いので、河原に降りて木橋のあったあたりへ行ってみます。ちなみに中央の標柱みたいなものは水位を測るスケールです。

 

 天龍川町を眺め、東海道に戻るため左寄りの階段を使って土手道へ上がります。

 

 土手道の反対側には天竜木橋跡と舟橋跡の標柱が立っています。土手道は交通量が多く、歩道もないので、道の手前から写真を撮るしかありません。

 

 土手道を渡り、標柱の脇から階段を下ると、六所神社の正面に出ます。六所神社は海神と航海の守り神を祀っています。

 

 神社の入り口脇には、舟橋・木橋跡の説明板が立っています。

 

 神社の前に出て、神社前のT字路を左折して東海道に戻ります。

 

 T字路の突き当りには道路元標があります。大正9年1920年)に施行された法律の下、各市町村に設置されたもので、現存するのは全国で1,600か所、静岡県では唯一のものと考えられています。

 

 T字路から真っ直ぐ伸びた東海道を進みます。

 

 六所神社を背に、中野町銀行の説明板が立っています。ここ、中野町は、江戸時代から明治大正にかけて、東海道天竜川の物流の集積地として大変賑わいました。このため、明治17年1884年)には中野町銀行が設立されました。昭和49年(1974年)まで、当時の建屋が残っていたそうです。

 

 江戸時代、中野町村の一番東にあたるこの場所には土橋で造られた東橋がありました。明治後期には、天竜川の舟運による木材の集積地として栄えるようになり、ここから天竜川までに繁華街ができたそうです。

 

 軽便鉄道軌道跡の説明板があります。明治42年(1909年)に浜松から中野町まで鉄道が引かれました。浜松から東海道の南脇を通り、この場所で東海道とクロスしていました。昭和12年(1937年)に廃線になりました。

 

 右手にある松林禅寺には徳川家光浜松城主に命じて建立させた薬師堂があります。門前には禅宗らしく枯山水のスペースがあります。

 

 説明板は続きます。かつてのこの辺りの松並木の状況を伝えています。往時は、ここ萱場(かやんば)村からこの先の植松まで、民家があるところ以外には松が植えられていました。

 

 右手のお屋敷は天竜川の治水に力を注いだ明治の実業家、金原明善の生家です。現在は明善記念館として整備されています。

 

 その先のT字路は東海道姫街道(本坂通)との追分になっています。なぜか天竜川の渡しで再び東海道と合流した姫街道がここで分かれます。安間(あんま)の起点とも呼ばれています。

 

 また、この付近には安間の一里塚がありました。日本橋から数えて、64里目の一里塚です。

 

 一里塚の先で県道312号と合流し、安間川橋で安間川を渡ります。

 

 安間川です。

 

 国道1号の下をくぐります。

 

 松並木が始まります。

 

 立場跡の説明板が立っています。脇に立っている松がかっこいいです。

 

 名残の松が続きます。

 

 天竜川駅入口交差点に到着します。左へ進むと正面がJR天竜川駅です。

 

 

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