2013年4月29日
横川
横川駅に寄って休憩しました。暑くなったので半袖のシャツになりました。
その後、 荻野屋の角を曲がり、中山道に戻ります。
碓氷峠鉄道文化むらへ通じるT字路の少し先で、右へ上がる細い道を進むと横川の茶屋本陣があります。現在も個人宅として使われています。
中山道に戻り先を進みます。このあたりは古いお宅も見られます。
右手には碓氷関所跡があります。
階段を上がった番所跡地に東門が復元されています。東門が実際にあった場所は少し横川駅寄りで、標柱が立っています。
この東門は明治になって廃棄処分が決まり、燃やされそうになった中から、危機一髪、柱や扉を取り出し保管されていました。これらの材料を使い、昭和34年(1959年)に復元されました。
さらに進むと、アプトの道と呼ばれる遊歩道とトロッコ列車の線路の下をくぐります。これらは旧信越本線の跡地を利用したものです。
アプトとは急こう配のレールを上り下りするために、レールの間にギザギザのラックレールを設けて、機関車についている歯車を噛ませて走る方式のことです。かつて、ここ横川駅と軽井沢駅間で使われていました。
その先で国道18号と合流して、霧積川に架かる霧積橋を渡ります。
橋の袂に川久保橋の説明板があります。かつてはこの霧積橋の少し上流に川久保橋、正式には碓氷御関所橋が架かっていました。橋桁の低い土橋で作られていたため、増水すると度々流出して川止めとなったそうです。関所設立時には軍事目的が優先されていました。
また、霧積橋から上信越自動車道の碓氷橋の主塔が望めます。ワイヤーを左右に張った形をしています。
橋を渡ると国道18号は左へ大きくカーブしますが、中山道は正面の坂を上がっていきます。
薬師坂と呼ばれ、坂の入口には石碑も立っています。
木々の茂る坂道を上ります。
すぐに国道18号と合流します。坂本宿まで一直線に続く緩やかな坂道を上っていきます。
坂本宿
上信越自動車道をくぐり、しばらく歩くと中山道坂本宿と記された門柱風の碑が立っています。
このあたりに坂本宿の江戸側の入口がありました。
歩道の脇には水路が設けられていて、水量は多くありませんが、水の流れる音がとても心地よいです。かつては街道の真ん中を流れていたのでしょうか。
正面には次回登る予定の刎石山が見えます。
坂本宿に入ります。坂本宿では各家で往時の屋号を掲げています。
まず目を引くのは、佐藤本陣跡にある建物です。坂本宿は西に碓氷峠、東に碓氷関所を控え大変賑わったと言われています。
本陣の建屋は明治になって坂本小学校の仮校舎として使われました。現在のこの家屋は明治34年(1901年)に小竹屋として建てられたものです。
その先右手には永井脇本陣跡があります。
さらに右手の「かぎや」は旧旅籠でした。切妻の大屋根を持つ立派な造りです。また、街道の両側から分かるように2階に掛けられた「かぎや」の看板が、往時の面影を残しています。
小林一茶が定宿としていた「たかさごや」は、今は説明板のみ立っています。一茶が宿泊すると聞くと多くの同好者が集まり賑わったそうです。
そして上木戸跡に到着しました。今日の街道歩きはここまでとして、横川駅まで戻り、電車で、車を置いた西松井田駅まで行きます。
帰り道はアプトの道を下っていきます。
上木戸跡から少し戻り、T字路を左折して峠の湯を目指します。
峠の湯の建物の裏に回るとアプトの道に出ることができます。
下の写真の道を右手方向に歩くと横川駅方面、左手はめがね橋を経由して熊野平まで通じています。また、碓氷峠鉄道文化むらとを結ぶトロッコ列車の始発駅、峠の湯駅があります。
アプトの道は旧信越本線の上り線を石で固めたもので、トロッコ列車は下り線を走るようになっています。
峠の湯から15分ほど下ると、旧丸山変電所があります。明治45年(1912年)に日本で初めて横川-軽井沢間で電化されたときに建てられたものです。国の重要文化財に指定されています。レンガ造りの立派な建物です。
アプトの道は上信越自動車道の先ほど見かけた碓氷橋の下をくぐり、一直線で横川駅へ下っていきます。
途中でトロッコ列車とすれ違いました。ゴールデンウイークということもあり、観光客で満員でした。
やがて碓氷峠鉄道文化むらに到着します。峠の湯から35分かかりました。
ここではかつての列車や機関車が展示されています。
碓氷峠鉄道文化むらの正門を通り、横川駅に10:20に到着しました。2時間50分の行程でした。今日の歩きは少なめでした。
横川駅で電車の待ち時間が50分ほどあったので、駅のホームに座って待っていました。
新幹線が開通する前、何度か信越本線で軽井沢方面へ行ったことがあります。横川駅に電車が到着するとホームの駅弁売りの人に乗客が群がっていたことや、電車が動き始めると駅弁売りの人たちが深々とお辞儀していたことが、このホームの風景を見ると蘇ってきます。もう30年以上も昔の話ですが。