2013年5月25日
軽井沢宿上木戸
7:30くらいに軽井沢駅前通りにある駐車場に到着しました。
天気は曇り、晴に変わる予報です。気温は10℃くらいでしょうか、少し寒いです。
7:50に本日のスタート地点である軽井沢銀座入口のロータリーを目指します。しかしながら、前回は軽井沢銀座を疾走して通り抜けて終わったため、つるや旅館前まで行って、もう一度ゆっくり軽井沢宿内を歩いてからロータリーに向かいました。
朝の軽井沢銀座は誰もいません。静かな軽井沢宿の雰囲気を味わいながら10分ほどで上木戸跡に着きました。直進方向の道へ進みます。
さすが軽井沢です。すぐに木々に覆われた別荘地に入ります。
かつての軽井沢は、度重なる浅間山の噴火や寒冷地のため荒涼とした原野が広がり、農作物が育たない不毛の地でした。明治に入り宣教師たちが別荘を建てるようになり、大手資本による大規模な別荘地開発が始まりました。このとき、カラマツの植林が大々的に行われ、現在のような木々に囲まれた別荘地になりました。
ロータリーから10分ほどで六本辻と呼ばれる六差路の交差点に出ます。右回りのロータリーに整備されています。ここも直進方向の道に入ります。
六本辻の先で雲場池の入口がありますが、先を急ぐために寄り道はしませんでした。
六本辻から20分、緑の中を歩いていくと国道18号と合流します。離山交差点です。このあたりは離山の近くですが、曇っていてその姿を見ることはできません。
国道を歩き始めて高架の下をくぐった先に市村記念館があります。近衛文麿の別荘跡が残っています。開館前だったので、そのまま通り過ぎました。
その先、軽井沢中学校前の信号で国道を横断し、並走しているしなの鉄道の踏切を渡ります。
すぐの交差点を右折し、住宅地を抜けると正面に橋が見えてきます。前沢橋です。
前沢橋を渡ります。下を流れるのは湯川です。
しなの鉄道の高架をくぐる手前で左へ入り、線路際の坂道を上ります。
中軽井沢の駅が見えるあたりの左手墓地の脇に一里塚碑が立っています。宮の前の一里塚です。日本橋から数えて38里目の一里塚です。
かつての中山道はこのあたりを通っていましたが、大火を機に沓掛宿は現在の中軽井沢駅の北側に移され、一里塚だけが取り残されました。
しなの鉄道の高架まで戻り、線路の下をくぐったところを左折します。
道なりに進み、郵便局前のT字路を左折すると中軽井沢駅に出ます。立派な駅舎に生まれ変わっていました。
沓掛宿
駅前から国道18号との交差点を左折して中山道に戻ります。このあたりは中軽井沢という言葉が定着して、沓掛の文字を見つけることができません。
雲が取れて暖かくなってきました。
国道に入ってすぐの左手にある八十二銀行の駐車場奥に脇本陣蔦屋跡の碑が立っています。
道を隔てた反対側には表札に本陣土屋と書かれた一般のお宅があります。
その先右手のT字路の脇に草津道道標があります。草津温泉への道を示しています。寛政10年(1798年)の建立とされています。
ここで中山道は国道から左の道へ入ります。
旧中山道は宮の前一里塚から中軽井沢駅南側を通り、ここで繋がっていたようです。
のどかな街道歩きになります。このあたりは古宿と呼ばれ立場がありました。
ツツジが見頃となり鮮やかな花を咲かせています。藤や芝桜の花も見られます。そして、道路脇の水路では涼やかな音を立てて水が流れています。
再び国道18号と合流します。沓掛宿から左へ入って15分のところです。
しばらく国道の歩道を歩くと、軽井沢バイパスとの合流点に着きます。国道の下り車線脇の歩道をそのまま進み、バイパスの高架をくぐります。
バイパスをくぐった先で左へ入る道が中山道です。
再びのどかな道になります。
その先のT字路は女街道との追分です。
江戸時代、「入り鉄砲に出女」と女人の通行は厳重な取り締りを受けました。このため、女人は碓氷関所を通らない裏街道を通るようになります。この道は、この先、和美峠を越えて下仁田、本庄宿へ通じています。でも女街道のどこかには関所があったはずですよね。取り締まりが厳しくなかったということでしょうか。
遠近(おちこち)宮付近は借宿と呼ばれ、間の宿が置かれていました。古い大きなお宅も見かけます。
道は上り坂となり、しばらく歩いた右手には大きな馬頭観世音が立っています。結構背が高いです。
再び国道18号に合流します。
国道を横断しようとしますが、交通量が多くてなかなか渡れません。
国道を横断して右手に少し歩くと上州道道標が立っています。これも草津へ通じる道を示しているようです。
しばらく国道を歩きます。追分交差点のあたりに標高1,003mを示す標識があります。
気温の表示は12℃。日差しは強いのですが、暑くもなく寒くもなくとても気持ちがよい陽気です。
すぐのところに追分の一里塚があります。日本橋から数えて39里目の一里塚です。両塚とも現存しています。
北塚です。
そして南塚です。若干欠けていますが、うまい具合に両塚の間を国道が通っています。