今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光街道(1)日本橋から草加 その3

 

2013年12月7日

 

千住宿

 

 千住本町商店街を500mほど進むと、駅前通りとの交差点に着きます。ここを右折すると正面が北千住駅になります。

 その先の商店街は宿場町通りに変わります。交差点を渡って、一つ目の路地を左に入ると本陣跡の説明板があります。このあたり一帯が本陣の敷地でした。

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 宿場町通りを歩きます。

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 本陣跡から5分ほどで右手に、千住ほんちょう公園に着きます。園内には高札場の由来についての説明板が立っています。

 ほんちょう公園のすぐ先、右手に、江戸の風情を忍ばせる紙問屋横山家住宅が建っています。江戸時代後期の商家の造りで、戸口が一段低くなっています。お客様をお迎えするという気持ちを表わしたものだそうです。

 ところで、若者が何人かで地図らしきものを持って、千住宿の名所の前をうろうろしています。歴史ウォークラリーでもやっているのでしょうか。

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 横山家住宅の向かいは絵馬屋吉田屋です。江戸中期より絵馬や行灯、凧などを扱っている際物屋を営んでいて、現在も営業しているそうです。

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 その先、数分のところで正面に名倉医院の看板が見えてきますが、そこのY字路を左へ曲がります。分岐の角には道標が立っています。旧下妻道道標で「北へ 旧下妻道 北西へ 旧日光道中」と記されています。最近の道標でしょうか。

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 左に曲がり、住宅街をしばらく歩くと、荒川の堤防に突き当たります。かつての日光街道はこのまま直進するのですが、今は荒川に遮られています。この川はかつて荒川放水路と呼ばれ、明治末から大正にかけて治水のために造られた川です。

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 道なりに堤防沿いを進むと、国道4号の通る千住新橋が見えてきます。国道の下をくぐると橋の左手に出るための歩道橋があり、階段を上ります。

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 歩道橋を渡ると千住新橋南詰交差点に出ます。直進して千住新橋を渡ります。荒川を吹く風はとても気持ちよいです。

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 千住新橋を渡り切ったところで土手を歩くため、左に曲がります。

 広々とした河川敷を眺めながら歩きます。都心でこのような景色が見ることができるなんて。

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 荒川の土手を川上に向かって約500m歩くと、右手首都高速道路下の道路に、川田橋と書かれた交差点が見えてきます。階段を降りて、交差点を渡り、さらに、先の道を直進します。荒川で分断された日光街道に戻ります。

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 淡々と比較的新しい住宅街の中を歩いていきます。

 川田橋交差点から15分で東武線の高架をくぐります。梅島駅の脇です。

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 環七を横断し、梅島駅から15分で島根二丁目交差点に着きます。左折すると国土安穏寺に通じています。交差点の角に、将軍家御成橋 御成道松並木跡碑が立っています。国土安穏寺は、将軍秀忠や家光が日光社参りや鷹狩の際、立ち寄った寺です。

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 さらに5分進むと、島根鷲神社交差点に着きます。かつて、このあたりに六月の一里塚がありましたが場所は特定されていません。日本橋から数えて3里目の一里塚です。

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 島根鷲神社交差点から20分くらいで、都営アパート群が見えてきます。生鮮市場の先の交差点で、日光街道は右に入ります。

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 街道は左に大きく弧を描きます。

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 5分ほどで、先ほど分かれた道と合流します。その先、道なりに右へ大きくカーブしながら進んだ先で国道4号との交差点、毛長川橋前交差点に着きます。国道4号の高架の下をくぐります。

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 その先、突き当りを左折します。

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 左折するとすぐに水神橋があり、毛長川を渡ります。

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 水神橋を渡ると埼玉県草加市に入ります。

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 県道49号沿いには草加せんべい屋をいくつか見ることができます。

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草加宿

 

 埼玉県に入って20分ほどで、Y字路があり、草加宿方面は左の道を進みます。分岐の角に、今様草加宿と記された碑が立っています。

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 Y字路から分かれて、数分で草加市役所に着きます。角に地蔵堂が建っています。市役所のある場所は、豪商大和屋浅古氏宅の敷地だったところで、地蔵堂はその敷地内に建っていたものです。

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 市役所から5分ほどで駅前通りとの交差点に着きます。交差点手前の右角のりそな銀行前の植え込みに道標が立っています。日光街道と葛西道と記されています。銀行脇から葛西へ通じる古道があり、この地はその追分でした。

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 草加駅前通りとの交差点で本日の街道歩きは終わりにします。左折して草加駅に向かいます。

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 草加駅へは14:05に到着しました。日光街道の第1日目は、5時間25分の行程でした。

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