今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(20)二川~吉田宿~国府 その1

 

2023年10月6日

 

二川

 

 8時10分くらいにJR東海道本線二川駅に到着しました。4か月半ぶりにこの地に立ちます。9月末までの酷暑がうって変わって、10月に入ると秋めいてきました。

 今回は3日間かけて東海道を歩きますが、こまめに駅のある名鉄線に沿って歩くので、最終ゴールは決めていません。特に、3日目の天気は下り坂で正午には雨が降ってくる予報なので、適当なところで切り上げようと考えています。でも、岡崎城下あたりまでは行きたいなあ。

 

 8:20に駅ロータリ前の東海道を歩き始めます。天気は快晴ですが、風が結構あります。冬型の季節風でしょうか。でも寒くはありません。季節は確実に変わってきているようです。

 

 5分ほど歩くと左手には伊良湖阿志両神社道と記されている道標が立っています。渥美半島にある阿志神社や伊良湖神社へ続く渥美奥郡道との分岐を示しています。「左 渥美奥郡道」、「右 東海道」、裏には明治33年と記されています。

 

 東海道は緩やかに右へカーブしますが、左から合流する道が渥美奥郡道でしょうか。

 

 すぐの火打坂交差点は直進します。西側にある岩屋山から火打石に用いられるチャートが産出されたことに由来します。

 

 火打坂を上っていきます。

 

 次の信号のある交差点を左へ入ります。


 岩屋山の北側を回り込むように西へ歩きます。

 

 岩屋山の脇を抜けると街道の左側に若い松の並木が見られます。

 

 若い松並木を抜けたあたりに、「旧東海道クロマツ跡」の碑が立っています。昭和40年(1965年)代には100本を超える松が残っていましたが、松くい虫や道路の拡張により、この碑のあたりに立つ松が最後の1本になってしまいました。この木も平成19年(2007年)に伐採されてしまいました。その年輪から江戸末期の安政年間(1854~1860年)のものだと分かりました。

 

 その松の雄姿が写真としてこの碑に残されています。

 

 すぐに、少し広めの道路に出ます。

 

 クロマツの碑から5分強歩き、殿田川を渡ります。橋を渡った先でマックを見つけたので暫し休憩をします。

 

 20分くらい休憩した後、歩き始めます。すぐのところで国道1号に出ます。

 

 合流する角に飯村の一里塚の碑が立っています。日本橋から数えて、73里目の一里塚です。

 

 単調な国道1号の歩道を歩きます。

 

 一里塚碑から国道を歩くこと20分弱で、瓦町交差点の脇に立つ寿泉寺の門が見えてきます。

 

 境内に三重塔が見えるので、中に入って見学させてもらいます。

 

 寿泉寺は臨済宗のお寺です。

 

 右手には三重塔が立っています。平成15年(2003年)に建立されました。

 

 東海道に戻ると、その先で五差路の東八町交差点に出ます。

 

 交差点で右手から合流する多米街道を横断すると、角のスペースにひときわ目立つ秋葉山常夜燈が建っています。文化2年(1805年)に建立さたもので、高さは5mもあります。

 

 横断歩道と歩道橋を通り、国道1号の反対側の角へ渡ります。

 

 歩道橋から東八町交差点の東側を望みます。分岐の右手の道がこれまで歩いてきた東海道、左手の道が多米街道になります。

 

 

吉田宿

 

 歩道橋で越えた交差点の南側のスペースには東惣門のミニチュアが建っています。東惣門は吉田宿の江戸側の入り口で、西へ向かう旅人は東海道からコの字に曲がって惣堀の間にある東惣門を通って吉田城下に入りました。惣門は朝六ツ(午前6時)に開門し、夜四ツ(午後10時)に閉門していました。

 

 東八町交差点から南側へ延びる八百間通りに入り、次の路地を右に入ります。通りの中央分離帯の生け垣には東海道を示す標識があり、それに沿って右折します。

 

 次の十字路を左折して、

 

 突き当りを右折します。特に東海道を表す標識はありません。

 

 しかし、ありがたいことに「旧東海道鍛治町」と記された表示があるので、この通りを直進します。

 

 

東海道(20)二川~吉田宿~国府 その2へ続きます。