今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

街道歩き、広重

 

2023年9月10日

 

街道歩きと浮世絵

 

 東海道を歩いていると五十三次の浮世絵をたびたび目にします。その中で、袋井では街道沿いに何枚もの地元に関係する浮世絵が説明書きと共に飾られていて、とても楽しませてもらいました。これに対し、中山道では広重や英泉の「木曾海道六十九次」が有名なはずですが、意外と目にすることはありませんでした。

 

 東海道で多くの浮世絵を目にするのは、今の時代も東海道を歩く人が多いせいもあるし、東海道で盛り上げようとしている自治体の努力もあるのでしょう。そして、江戸の時代から多くの人に親しまれてきた大ヒット作、広重の保永堂版東海道五十三次の絵集の存在が大きいはずです。必ずどこかで目にします。そういえば、昔、永谷園のお茶漬けの付録にも入っていましたね。

 

 

歌川広重

 

 歌川広重は本名を安藤重右衛門と言い、寛政9年(1797年)に定火消同心の家に生まれました。若くして家督を継ぎましたが、小さい頃から絵心があり、歌川豊広に弟子入りして、画号を広重と名乗るようになりました。昔、学校で「安藤広重」と習った記憶がありますが、歌川一派の広重だったので「歌川広重」が最近では一般的な呼び名のようです。

 その後、彼は縁者に家督を譲り、絵師として一本立ちしました。はじめは役者絵や美人画などが中心でしたが、風景画にも取り組むようになり、天保4年(1833年)から保永堂の「東海道五拾三次」の作製を始めました。折しも、弥次さん喜多さんの登場によって庶民の旅行熱が高まり、相まってこの「東海道五拾三次」は大ヒット作品になりました。その後も、「狂歌入り」、「行書版」、「隷書版」など20種以上のシリーズが発行されたと言われています。

 

 

浮世絵 東海道五拾三次

 

 由比宿本陣跡にある静岡市東海道広重美術館を訪れた時、ちょうど広重の狂歌入り東海道五十三次の企画展が開催されていました。先を急いでいたこともあり、残念ながらじっくり鑑賞する時間がありませんでした。また同じような企画があれば訪れたいものです。

 

 そんなこともあり、広重の五十三次をじっくり鑑賞したいと思い立ち、最近、画集を買いました。

 「謎解き浮世絵叢書 歌川広重 保永堂版 東海道五拾三次」

  町田市立国際版画美術館 佐々木守俊 解説

 しかし、観賞用として購入したのですが、それ以上に解説が的確で素晴らしい。広重の絵一枚一枚が良く計算されていたことが分かりました。工夫された構図がもたらす効果や、絵のテーマのひとつとなっている登場人物も、主役から脇役(エキストラ)まで情景を引き立てている仕組みになっています。さらには、当時の人たちの風俗や習慣も解説されていて理解に役立ちます。これ以上書くとネタばらしになってしまうので、ぜひ、実本を覗いてみてください。

 

 

蒲原 夜之雪

 

 「蒲原 夜之雪」は広重のシリーズ最高傑作のひとつにあげられています。墨の濃淡だけで表した夜の雪景色、しんしんと降る雪の中をすれ違う旅人、雪を踏む足音だけが聞こえてきそうな静けさです。傘をかぶって顔を見せない登場人物が去っていく様子を、佐々木氏は「感傷的」と言う言葉で表現しています。

 なぜ温暖な蒲原に雪景色を取りあげているのかは、ネットを見ていくといくつかの説があるようです。東海道シリーズに季節のバリエーションを持たせたかったとか、実は新潟の蒲原だったとか、浄瑠璃姫の雪のイメージから着想を得たとか言われていますが、これだけは当の本人しか分からないかもしれませんね。

 

 絵の風景も実在しないと言われていますが、一説には、正面中央の建物が問屋という説もあります。写真右手の説明板が問屋跡のもので、左へ並ぶ家並みがだんだん蒲原の雪景色のように見えてくるのが不思議です。

 

 

由井 薩埵嶺

 

「由井 薩埵嶺」です。絵の構図は左上から右下に対角線で区切られ、岩山の密の部分と海や空や富士山の疎の部分の対比が印象的です。よく見ると左上の隅に旅人が描かれていて、「恐る恐る」駿河湾越しの富士山の絶景を眺め、えらく感動しています。

 

今は海岸線に線路や国道、高速道路が走り、昔の趣から変わってきましたが、日本人のDNAに刻まれた富士山を愛でる心は普遍なものなのかもしれません。これって、ひょっとして、芭蕉の不易流行。。。??