今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(22)東岡崎~岡崎宿~新安城 その3

 

2023年10月8日

 

岡崎城

 

 東海道は、田中吉政が整備した総構えの籠田総門から岡崎城下に入り、城郭の北側を回り込んでいました。二十七曲りが国道1号に突き当たる田町角から東海道を離れて、岡崎城跡に立ち寄ります。雨の降り出す時刻も気になりますが、ここは外せない見どころです。

 本丸に建つ三層五階の天守に向かいます。天守は1959年に再建され、復興天守と呼ばれています。

 

 天守入口の脇には、「東照宮遺訓」の碑が立っています。家康が秀忠に将軍職を譲った際に記されたものだそうです。この碑は昭和11年(1936年)に建立されました。

 人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、いそぐべからず、・・・

 ・・・おのれを責めてひとをせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 礎石には歯を食いしばった(?)亀が居て、碑の上部には、家康生誕にまつわる龍が彫られています。

 

 天守の中に入ると、心柱を支えた礎石が展示されています。心柱を用いた天守は珍しいそうです。

 

 岡崎城郭の模型です。今の岡崎公園よりかなり広そうです。

 

 岡崎城下のジオラマもあります。

 

 最上階からの南側の眺めです。南の乙川と西の伊賀川が合流しています。

 

 こちらは北側の眺めです。ここから大樹寺が見えるそうですが、どこでしょうか?大樹寺は松平・徳川家の菩提寺であり、桶狭間の戦いで家康がかろうじて大樹寺へ逃げ込み、自刃まで考えました。しかし、太平の世をめざそうと思いとどまり、再起した場所と言われています。

 

 まだまだ、見どころはいっぱいありますが、残念ながら先を急ぐため、大手門から岡崎城址を後にします。

 

 岡崎公園脇の国道1号の歩道を西へ向かいます。

 

 再び、龍城橋を渡り、

 

 東海道の続きに戻り、国道から左折します。

 

 角には、「板屋町入口」の石標が立っています。

 

 左折した右手の民家の前には、道標「か」が立っています。

 

 東海道に入り、住宅街の中を進みます。

 

 すぐのT字路を右折します。

 

 左手には「板屋町角」の石標があり、

 

 その前の道端には、道標「よ」が立っています。

 

 T字路を右折してしばらく歩くと、国道248号との交差点、中岡崎町交差点に出ます。東海道は交差点を横断して、直進します。

 

 交差点を渡った角には、道標「た」があります。

 

 道標の脇には松葉総門跡の石標が立っています。岡崎城下を囲む総構えの西側の出入り口になっていました。

 

 すぐのところで、愛知環状鉄道線の高架の下をくぐります。

 

 高架下には、道標「れ」が立ち、その脇には「八帖村」と記された石標があります。

 

 道標「れ」の先からの通りは、八帖往還通りと呼ばれ、このあたり一帯は今でも八丁味噌の生産地となっています。八丁味噌矢作川流域で収穫される大豆と吉良産の塩の良質な材料で作られ、江戸時代には東海道沿いにあるということで、各地にその名前が広まりました。現在は2件の味噌蔵が営業しています。

 右手にはカクキュウの工場が立っています。

 

 趣のある一角を通ります。

 

 左手は、もう1軒の味噌蔵、まるやがあります。

 

 まるやの前のT字路を右折すると、「八丁蔵通り」という標識を見つけたので、奥へ入ってみます。

 

 岡崎市内各所には、NHK連続テレビ小説純情きらり」の出演者の手形のモニュメントを置いています。八丁蔵通りにあるのは、主役を演じた宮崎あおいの手形です。この辺りもロケ地になりました。

 

 八丁蔵通りにはカクキュウの味噌蔵が続きます。素晴らしい。

 

 八丁蔵通りを少しだけ堪能して、東海道に戻ります。

 

 その先の東海道はT字路に突き当たるので、右折します。

 

 突き当りには、「右 西京 左 江戸」と記された道標があります。

 

 突き当りを右折して、しばらく歩くと国道1号に向けて少しだけ坂道を上ります。

 

 道なりに右へ曲がります。これから、国道の反対側の歩道へ出ます。

 

 

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