2021年11月27日
田畑
蛍の名所である六反川を渡り、その先の田畑交差点を右折します。交差点のすぐ左手には国道20号が並行して走っています。
金剛地地区を進みます。車通りの少ない道です。
田畑交差点から8分ほど坂道を上っていくと道は二手に分かれるので、左の道に入ります。
分岐には二十三夜塔が2基立っています。
次のT字路を左折します。
高台の地ではありますが田んぼもあります。
道なりに右へ直角に曲がり、その先の二股は左へ入ります。
静かな町並みを通り、最後の坂を下ると、先ほど分かれた県道6号に出るので、右折します。
その先視界が開け、塩川に架かる塩川橋が見えてきます。
塩川橋を渡ります。正面には甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山が目前に見えてきます。見事な眺めです。
上流側には八ヶ岳方面を望むことができます。しかしながら、今日は雲にかかってその姿が見えません。
そして、下流側に見えるのは富士山です。
塩川橋を渡ると韮崎市に入ります。韮崎宿までもう少しです。
橋を渡り切った塩川橋西詰交差点を、県道6号と一緒に右へ入ります。
線路と並走する直線の道を歩きます。
やはり、八ヶ岳には雲がかかって見えませんね。
塩川橋を渡って延々と歩くこと15分で韮崎の街の中に入ります。
韮崎宿
下宿交差点を通過します。
交差点を渡った左手には鰍沢横丁の石碑と説明板が立っています。石碑の脇から左へ入る路地がかつてのみのぶ道で鰍沢まで続いていました。みのぶ道は今朝通った甲府相生から鰍沢までの道筋とともにあるようです。鰍沢には富士川を利用した河岸があり、駿河までの舟運が発達しました。幕末、天保6年(1835年)には韮崎に船山河岸ができ、釜無川から富士川に続く舟路ができました。船山河岸には峡北地方や諏訪・佐久地方から江戸城へ運ぶ年貢米が積まれていました。
電線のないすっきりとした通りを歩きます。右手には井筒屋醤油の重厚な建屋が建っています。
右手、千野眼科医院の辺りが本陣跡です。
歩道脇には「韮崎宿本陣の跡」の石碑が建っています。甲州街道を通る大名の日程の都合上、韮崎宿には大名の宿泊はあまりありませんでした。主に問屋業務を担っていました。
本町第二交差点が見えてきます。
交差点の手前にある上田商店の前に馬つなぎ石が置かれています。交通の要所であった韮崎宿を利用する旅人や商人が馬をつなげておくための石でした。
その先、すぐに本町交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとして、右折して韮崎駅へ向かいます。
右へ入る道は佐久甲州街道(佐久往還)と呼ばれ、中山道の岩村田宿の相生町交差点まで続いています。
佐久甲州街道を少しだけ歩き、右へ反れて韮崎駅に到着しました。時刻は13:45。今日は4時間25分の行程でした。
駅前のロータリーから富士山が見えます。富士山もだいぶ遠くになりました。
駅のホームは風の吹きっさらしになっていて、とても寒かったのですが、ここからも富士山を眺めることができました。今日は風の冷たい一日でした。
14:32の電車に乗って帰路につきました。