今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(20)二川~吉田宿~国府 その4

 

2023年10月6日

 

瓜郷遺跡

 

 瓜郷遺跡は弥生時代の遺跡で、昭和11年(1936年)に道路の拡張工事を行った際に貝塚が発見されました。その後の発掘調査で住居跡や土器、石斧や管玉などの石器、鍬や弓などの木製品が出土しました。また、焼けた米も見つかり、周辺では米作りが行われていました。今は竪穴住居が復元されています。なかなか立派ですね。

 

 街道に戻り、江川を渡ります。

 

 江川は瓜郷遺跡の中を流れる川です。先ほどの復元住居が見えます。川の両側の空き地には縄張りがされていて、「文化財保護用地」という表示が立っています。

 このあたりは豊川の作る沖積地で当時は海にも近く、周辺にもいくつかの遺跡が存在していました。

 

 豊橋魚市場の前を通ります。

 

 市場の先で豊川市に入ります。道がちょっとやばくなってきました。トラックや乗用車がすれ違う中、歩道がありません。

 

 意を決して車道端を進みます。道路脇の稲穂がだいぶ垂れてきました。

 

 坂道を上がると豊川放水路に架かる高橋に出ます。ここを歩いて渡るのは危険極まりないです。写真には車が写っていませんが、これは稀なタイミングです。歩いて渡る人はいないんですかね。

 

 ここは迷わず、2~300m上流の国道1号に架かる橋を渡ることにします。

 

 国道1号の小坂井大橋には歩道がきちんとあります。

 

 およそ10分弱かけて高橋の反対側に出ます。

 

 東海道に戻ると善光寺川を渡ります。

 

 やっと道幅が少し広がります。

 

 右手の松の木の袂に子だが橋の碑が立っています。その昔、兎足(うたり)神社では大祭初日の最初にこの街道を通った若い女性を生贄にする習慣がありました。ある年の大祭に最初に通る娘を見るとそれはわが子でした。しかし、「子だがやむを得ない」といって神に奉ったという謂れがあります。つらく悲しい話です。

 

 その先、信号のある交差点を二つ過ぎると、右手にはその兎足神社の鳥居が立っています。

 

 境内を少し歩くと、左手に拝殿があります。ちょうど七五三の時期です。

 

 兎足神社は白鳳15年(686年)にこの地に鎮座した由緒ある神社です。

 

 拝殿にはチェーンソーなでうさぎがいます。

 

 参道脇には貝塚公園の説明板が立っています。こちらは3,000年前の縄文時代晩期の貝塚のようです。

 

 さらに先の東海道を進みます。

 

 兎足神社から5分強歩き、JR飯田線の踏切を渡ります。左手には小坂井駅があります。

 

 踏切を渡り、秋葉神社の脇を通ります。かつては大きな松の木が立っていたようです。

 

 左手明光寺山門の脇には秋葉山常夜燈が鎮座しています。

 時刻は13時過ぎ。隣の隣に古民家カフェがあったので「古民家」と言う名前にひかれて昼食をとることにします。愛知県に入ると名古屋の喫茶店文化の影響でしょうか、街道沿いでもカフェを多く見かける気がします。

 中は客が程よく埋まっていて、雰囲気の良い店です。14:00までがモーニングの時間帯で、トースト、サラダ、ゆで卵のついたコーヒーをいただきました。

 

 30分ほど休憩してから、再び東海道を歩き始めます。

 

 古民家カフェから10分弱歩くと左手には伊奈村立場茶屋加藤家跡の説明板があります。この地は吉田宿と御油宿の中間の位置にあり、立場が設けられました。現在も茶屋という地名が残っています。加藤家で売っていた良香散という腹薬が街道では有名でした。

 ここには句碑が二つ立っていて、右のものは芭蕉、左のものは加藤家の生まれで芭蕉と親交のあった鳥巣(うそう)のものです。

 かくさぬそ 宿は菜汁に 唐が羅し  芭蕉

 ももの花 さかひしまらぬ かきね哉  鳥巣

 

 すぐの右手には迦具土神社があります。延宝8年(1680年)の創建です。

 

 さらに、その先の山本太鼓店の前に一里塚碑が立っています。

 

 伊奈の一里塚で、日本橋から数えて75里目の一里塚です。

 

 右手には速須佐之男神社があります。明和7年(1770年)の創建です。

 

 神社の入り口脇には秋葉山常夜燈が立っています。

 

 佐奈川に架かる佐奈橋を渡ります。

 

 

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